HOME > MEGLOG【編集日記】

MEGLOG


岸井ゆきのと、浜辺美波というちょっと意外な組み合わせで、行方不明になった親友との記憶を辿りながら「死生観」を問う繊細な映画『やがて海へと届く』が、間もなく公開する。メガホンをとった中川龍太郎監督にお話を伺った。

ーーー監督は、ご自身の経験を反映して「喪失」や「再生」というテーマをよく描かれます。今作は原作ものでありながら、それらの作品群との繋がりを深く感じました。

僕はいわゆる「職業監督」ではないので、自分事として描けるもの、自分の中に繋がるものでないと作ることができないと感じています。原作を読んで最初に感じたのは、真奈とすみれの関係が、すごく詩的だということ。お互いの欠けている部分を埋め合わせ、補い合える関係。直接的には、僕自身が経験した「友人の死」も思い起こしましたが、何より「青春」という時間の描き方に共感したんだと思います。昨日、寝る前に急に思いついて、忘れそうだから慌ててメモしたことがあるんですけど、青春って多分「他人が他人として感じられた」時代のことだと思います。

ーーー他人ですか。実は私、彼女たちの関係に「親友」でありながら、すごい「緊張感」を感じたんです。対人関係が苦手な真奈だけでなく、器用に立ち回っているよう見えるすみれこそ、どこかぎこちない気がして。その馴染み切れていないふたりを「他人が他人であった年代」と説明されると、すごく腑に落ちます!…って、合ってますかね?

初めてこの話をしたのに、そんなに意図を汲んでくださり、ありがとうございます!大人になってくると、自分と他人の境界がハッキリしてくるからか、他人に対する「怖さ」って減ってくるじゃないですか。そういう「自分と他人の境界線が曖昧」である怖さが生々しかった時期に出会ったから、ああいう友情が成立したんだと思うんです。それは僕と亡くなった友人にも共通します。

ーーーだから、岸井ゆきのさん、浜辺美波さんという意外なタッグなんですね。正直、観る前は、2人をどう馴染ませるのか、想像できなかったんです。

いわゆるステレオタイプの「トイレに行くのも一緒」みたいな女の子たちにはしたくなくて、例えば、浜辺さん演じる「すみれ」は、遠くに落ちているポーチを見つけることができるけど、足元にあるものには気づけない人。「真奈」はその逆です。そういう、違う視点を持っている2人を描きたかった。お互いが自立していて、その上で相手を憧れの眼差しで見ている関係です。

その中で、岸井さんの真奈というイメージがまず先に浮かびました。彼女には以前から「生命力」を感じていて、この物語は死に飲み込まれてしまう人では成り立たないのでピッタリだと。次に、真奈とは違う世界にいそうで、透明感があるけど、何を考えているかわかりづらそうな人…と考えたら、浜辺さんでした。本当に出てもらえるとは思ってなかったんですけど(笑)


ーーー浜辺さんにとっては、これまで経験したことのないタイプの作品だったかと思います。どんな手順で作っていきましたか?

浜辺さんはおそらく、一般的な、僕たちのような「学生時代」は経験されてないだろうなと思ったんですよね。だから、撮影の前に、実際の学生と話す機会を設けたり、すみれの出身校という設定になっている高校で、先生と話したり、授業や校舎の雰囲気を見て貰ったりしました。あと、ビデオカメラを「好きに撮って」と預けたりもしました。すみれの人生を、彼女自身の中に取り込んで、立体的にしていってもらう準備期間です。

ーーー岸井さんは?

岸井さんも初めてご一緒したんですけど、俳優としてのキャリアも充分にあるし、僕の方からそういったアプローチはしませんでした。ただ、真奈の「部屋」については、結構ディスカッションしましたね。大学生が住むには広すぎる部屋だけど、お金持ちの子ではないので、「その辺りはどう考えればいいですか?」と聞かれました。僕は「ある種のファンタジーなんだと思います」と答えました。あの部屋は真奈にとっての「お城」で、学生時代に傷ついた彼女を守ってくれるシェルターみたいな空間。だから、リアルな世界じゃなくていいと感じました。

ーーーなるほど。ファンタジーといえば、冒頭から、水彩画のようなアニメーションシーンが印象的でした。なぜその手法を選んだのか、製作過程も併せて聞かせてください。

「すみれがどう旅立ったか」という部分はどうしても避けて通れないと思っていたので、リアリティのある表現にしたかった。でも、同時に、実写でやると「痛み」ではなくて「暴力」を描くことにもなってしまうので、そこを抽象化しながら描けるのは、ああいう水彩タッチのアニメーションがいいなと思って、オファーさせていただきました。

ちなみに、アニメーション部分は、まず僕が詩を書きました(編集注:監督は映画監督である前に詩人である)。大した詩じゃないんですけど「老婆の体から菊の花が生えてきて、ばね仕掛けの人形が弾け飛ぶ」とか、「走るに従って年齢が遡っていく」みたいな感じだったかな。原作は「こう感じた」みたいな一人称で描かれているんですが、「苦しい」というのは何色なのかとか考えると、人それぞれでイメージは違うじゃないですか。だから、実際に起きたことを拾っていかないと、意思の統一が図れないと思ったので。その詩を元に、イメージボードを7枚ぐらい描いてもらって「もっと水平線の向こうに木が生えているイメージなんです」とか、撮影の1年ほど前からやり取りして、結局丸1年掛かりましたね。

ーーー私、冒頭シーンは、東日本大震災の話になっていくとは思わずに見ていたので、「電車は来ない」という無念さや痛みが具体的にどこに通じていくのかわからなかったんですが、途中で「あ、電車=津波の比喩表現なのか!」と思ったんです。監督にそういう意図があったかはわかりませんが「待ち望んだ電車は、津波となってやって来て、津波という電車に連れ去られてしまったんだ!」と想像したら、すごく恐ろしくなりました。

え~っ。それはすばらしい感受性だなあ。そんな風に見ていただいた方がいるなんて、嬉しいです。「世界の片面しか見えていない」というセリフもあるように、自分が体験したこと以外の世界を知るには、まず想像力が必要なんですよね。これ、たぶんすごく大事な話だと思うのですが、何と伝えればいいのかな…。ええと、僕は震災の当時は大学生だったんです。その時は、震災を「自分事」として捉えることはあまりできなかった。だけど、その後友人を亡くして、誰かが死ぬということの痛みを、実感をもって理解しました。その経験を経て初めて、あの震災は「2万人という数字が死んだ」んじゃなくて、「一人づつの喪失が2万個あったんだ」と、ようやく気付けた流れがあったんです。だから、この作品では「震災」ではなく「特定の個人」の痛みを、追体験して欲しいと思っていました。


ーーー津波でご家族を亡くされた方のインタビューを、ビデオで撮影する集会のシーンも、まさに追体験でしたね。あのシーンの生々しさは、作品のトーンを覆す異質なシーンでもありました。監督の意図と、どうやって撮影されたのかを知りたいです。

まず、東北を舞台にするなら「景色を借りるだけ」というのはやりたくないと生理的に感じました。そこで生活されて被害に遭った方々が居るという現実がある以上、その「人」を描かないのは違和感があったんです。それから、取材を重ねていく中で、みんなの傷は「震災」という枠では括れない個々の痛みだとも感じました。だとしたら、僕自身も友人を失った痛みを多少なりとも持っているわけですし、その本質は変わらないのではないか?グラデーションはあるにせよ一緒に並べてみて、生のまま提示したい思ったんです。なので、新谷ゆづみさんが演じる高校生と、カメラマン役の中島知子さん以外は実際の被災者の方で、僕がインタビューしながら撮って、そのまま使わせてもらいました。

ーーーその本物だらけの中での、新谷さんの芝居、佇まいが、めちゃくちゃ良かったです。流れを切らずに、役者役者せずに「そこに生きている」感じがしました。

あれ、役者としては、超怖いシーンですよね!実際に被災している人と並んで喋るなんて。彼女は、これの前に撮ったHuluのドラマ『息をひそめて』で、オーディションに来てくれたんだけど、素晴らしかったんです。観察眼、洞察力、感受性がすごい。僕は、作文を書いていただき、その場でその話をしていただくという課題をよく出すんですが、その場で彼女が泣き出してしまって。後から聞いたら「緊張で」とおっしゃっていたけど、その言葉を詰まらせている姿がすごく印象的でした。その時は役のイメージとは違ったのでご一緒できなかったけれど、ずっと記憶の中に彼女の存在がありました。それで、今回はこちらから声をかけて、数名でのオーディションを経て、結果的に彼女にお願いしました。

ーーー正直、あのシーンは彼女が主役でした。

本当に!
これから売れていきそうだから、今のうちに、もうちょっと撮らせてもらったほうがいいかな(笑)

ーーー是非そうしましょう!!もう一つだけ、聞かせてください。5年を経て、まだ身動きが取れずにいるヒロインなわけですが、原作では3年後の設定で、実際には震災から11年経っています。なぜ5年としたのか理由はありますか?

おおー。この質問は、今まで随分と取材を受けてきた中で、初めて聞かれました。ありがとうございます。
実は、そこが一番苦労したんですよ。どういうことかと言うと、震災の跡って目に見える形ではほぼ「残ってない」んですよね。なので現在進行形にはできない。いや、本来この映画は2年前の8月に撮る予定だったので、その時には、震災で壊れてそのままになっていた駅がひとつだけあったんですが。コロナの影響で撮影が昨年の4月に延びてしまったら、その間に、唯一の「爪痕」が整地されて無くなっていました。これでは5年後という設定すら難しい…と悩んでいる時に、この震災の恐ろしさというか、激しさを物語るのは「壁だ」と思ったんです。防潮堤ですね。十何メートルもある壁が何キロも続いている異様な光景。海を見て暮らしてきた人たちの生活を一変させた壁に、僕は極めて違和感と気味悪さを感じました。だから、それを震災の象徴として描けば、破壊を見せなくても、ギリギリできると思ったんです。それで、急きょ脚本を書き換えて…。

ーーーうわぁ、大変でしたね!!

そこは本当に苦労したので、気づいていただけて嬉しかったです…初めて聞いていただいて、ありがとうございます(笑)

でも、この壁も5年ていうのがギリギリで、それよりさかのぼると、まだ建設が始まっていないんですよね。だから、真奈の心情的な部分がなんとか保てて、壁も…というせめぎ合いで5年。いや、物理的な理由だけじゃないですよ、もちろん!

ーーーええ(笑)。津波って、どこかで生きてるかもしれない…みたいな希望を抱ける余白があるのが逆にツラいですよね。目の前に遺体があれば現実として受け止められるものも、目の前にないと実感できない。だから5年掛かっても消化できない。

そう。すごく残酷であり、美しさでもあると思うんですけど、最終的に人間は「記憶」になる、と僕は思っています。レーニンのように凍らせたり、エジプトのミイラみたいに、物理的な「肉体」っていうのは、まぁ死んでも残せるかもしれないけど、それは「生きてる」とは言わない。人間は皆、最終的には「記憶」という存在になる。記憶は「ゴースト」と言い換えてもいいけど、我々は、ゴーストとともに生きている。その姿を描きたかったんです。

ーーーそういえば、母親や彼氏は比較的早く区切りを付けていて、すみれが近くに居た時より、むしろ失ってからの方が、彼女を手に入れた安堵を感じてるように見えました。真奈と違って記憶にしたんですね。そして、すみれが残したビデオカメラからは、逆説的にすみれの居所のなさや寂しさが漏れ出てるのも皮肉だなと。

ビデオは「情報」なんですよね。生きている間に写真をたくさん撮っておけばいいのかっていうとそれは違う。人間は「記憶」になる事はあっても「情報」にはならないですから。でも、現代社会では、あらゆることがデジタルに変換されて行ってて、人間もただの「情報」になってしまっているのでは?と思うことはあります。だから、他者の痛みへの想像力がなくなっていってるんじゃないか、とか…。

あ、そうか!僕、そういう問いかけを、一番深いテーマとして描きたかったんですね。自分でも気づいてなかったことに、いまこの会話で気づきました。最後のが一番言いたかったことです。これって説明がすごく難しいけど、辿り着けた気がします。ありがとうございます。メモっとこう。

ーーーわ、光栄です。今日は本当にありがとうございました!とっても楽しかったです!

◎Interview&Text/シネマコンシェルジュ・hime

4/1 FRIDAY~
[大阪・TOHOシネマズ梅田、名古屋・伏見ミリオン座他 全国ロードショー]
映画『やがて海へと届く』

■原作/彩瀬まる『やがて海へと届く』
■監督・脚本/中川龍太郎
■脚本/梅原英司
■出演/岸井ゆきの 浜辺美波 杉野遥亮 中崎敏 鶴田真由 中嶋朋子 新谷ゆづみ 光石研
 PG-12指定作品
 『やがて海へと届く』公式サイト


ドキュメンタリー映画や身近な出来事を題材とした映画を生み出しているマイク・ミルズ監督と、SNSなどで多く考察され話題となった新感覚ホラー映画『ミッドサマー』などを手がけた映画製作・配給会社A24 が第1弾の『20センチュリー・ウーマン』に続いて、待望のコラボ第2弾『カモンカモン』を完成させた。本作の主演は、アメコミ映画史上最強のヴィランとも呼ばれる『ジョーカー』を演じ、アカデミー賞主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックス。悪のカリスマ『ジョーカー』の狂気的なイメージとは180度かけ離れた、不器用ながらも、だんだんと相手を理解していく心優しい役どころを熱演している。


© 2021 Be Funny When You Can LLC. All Rights Reserved.

物語はNYでシングルライフを送りながら、子供たちへのインタビューを仕事としているラジオジャーナリスト・ジョニー(ホアキン・フェニックス)がLAに住む妹から頼まれ、数日間9歳の甥・ジェシー(ウディ・ノーマン)の面倒を見ることから始まる。本作の着想は監督が、妻である映画作家でアーティストのミランダ・ジュライとの間に生まれた子ども・ホッパーをお風呂に入れている時に得たという。実際にミルズ自身が子育てをしていく中で経験した、さまざまな“想定外の出来事”にインスパイアされたストーリーで、ぶつかり合いながらも、お互いに理解し歩み寄ろうとする二人の姿は、両親との間で自分も経験したことあるようなどこか共感できる内容だ。
しかし、シングルライフのジョニーはジェシーと“叔父と甥”の関係であり、突然経験したことのない“子育て”という生活に放り込まれてしまう。他人でもなく親子でもない『叔父と甥』という設定にしたのは、何も知らない主人公が一夜にして、子育ての厳しさを思いっきり味わえる方法だったからだ。監督は「ジョニーは親が学ぶべきすべてのことを学ばなければならなくなる。それも早急にね。」「父親になると、自分は何に対しても初心者であり、物事の変化についていくのに精一杯だと感じることがある。これは、その混乱を再現する方法だった。子育ては起きていることに対して、いつも準備ができていない状態なんだよ。これは生物学的な親にならなければ経験できないことではない」と語っている。

物語の舞台となっているのは、ロサンゼルス・ニューヨーク・デトロイト・ニューオリンズの4都市。東、西、南、北の各都市が1つずつピックアップされているのも魅力の一つ。時系列で撮影された本作はジョニーが住んでいるアパート以外、ほとんどのロケ地は実際に生活が営まれている場所で行われており、よりリアルな世界観が生み出されているが映し出されるのはすべてモノクロ映像だ。「白黒にした理由はすごくたくさんある。まずここで僕が語っている物語は、すごくありふれたことだと思うんだよね。子供をお風呂に入れて、一緒に寝て、ご飯食べるというものだからね。だけど白黒にすることで、その日常風景から切り離されて、これは”物語”なんだ、ということをまず提示できると思った。」と監督は答えている。

また、本作はラジオジャーナリスト・ジョニーを演じているホアキン・フェニックスが、ロケ地である4都市に住んでいる9~14歳の子どもたちへ、実際にインタビューしているドキュメンタリータッチのシーンが組み込まれているのも特徴的だ。“自分たちが住んでいる街について、現在の生活について、世界について、そして未来について”率直に語っている彼らの“生の声”は生々しくもパワフル。なかなか聞くことがない彼らの思いや考えは、ハッとさせられることや、改めて考えさせられることも多い。このインタビューシーンはジョニーとジェシー2人の物語とも呼応していて、“すべての大人は子供と彼らの未来に責任がある”という強いメッセージを発している。

マイク・ミルズ監督と映画製作・配給会社A24、そしてアカデミー賞主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスがタッグを組んだ映画『カモン カモン』は4月22日(金)から、TOHOシネマズ 梅田ほか全国でロードショー予定。

◎Text/関谷佐和子(クエストルーム)

4/22 FRIDAY〜【大阪・TOHO シネマズ梅田、名古屋・伏見ミリオン座  他全国ロードショー】
映画「カモン カモン」
■監督・脚本:マイク・ミルズ
■出演:ホアキン・フェニックス、ウディ・ノーマン、ギャビー・ホフマン、モリー・ウェブスター、ジャブーキー・ヤング=ホワイト
■音楽: アーロン・デスナー、ブライス・デスナー(ザ・ナショナル)
■配給・宣伝: ハピネットファントム・スタジオ


スタジオジブリをはじめ人気映画の音楽を多数作曲していることで、広い世代からの支持を得ている久石譲が、日本センチュリー交響楽団の首席客演指揮者に就任したのは2021年4月のこと。2021年度シーズンの掉尾を飾る「第262回定期演奏会」は、当の久石譲が登場し、彼が選んだ現代の音楽を中心とした、挑戦的なプログラムを、満員の聴衆に披露した。


©s.yamamoto

久石が1曲目に選んだのは、エストニアの作曲家アルヴォ・ペルトが1986年に作曲した「フェスティーナ・レンテ」。「悠々とゆっくり急げ」の意味を持つこの曲は、弦楽器とハープだけの静謐な曲だが、現在の世界情勢を考え、またペルトの生まれたエストニアを含むバルト3国とロシアの関係などを思いながら聴いていると、まるでレクイエム(鎮魂歌)のようにホールに優しく響いた。偶然とは云え、実にタイムリーな選曲からコンサートは始まった。

続いての曲は、久石譲が2019年に作曲した「Variation 57〜2台のピアノのための協奏曲」チェンバー・アンサンブル版を、新たに2管編成のオーケストラ用に書き直したもの。3つのモチーフと57のヴァリエ―ション(変奏)で構成されたこの曲は、ニューヨークの57thストリートに滞在していた時に着想し、スケッチを書いたのでこの名前になったそうだ。この日が管弦楽版の世界初演となった。演奏したのは、2021年に「第70回ミュンヘン国際音楽コンクール ピアノデュオ部門」で、第3位と聴衆賞を合わせて受賞した新進気鋭の姉妹デュオ、Piano duo Sakamoto(坂本彩、坂本リサ)。久石がYouTubeで彼女たちの演奏を見て、この子たちで行こう!と決めたそうで、リハーサル初日が初めましてだったとか。
この曲は、久石がSingle Track Musicと呼ぶ手法で書かれている単旋律で和音の無い音楽だが、特定の音の並びによっては、まるでフーガや和音の様に聴こえるという音の特性を利用したものとなっている。幼い頃からジブリ映画を見て育ったという坂本姉妹は、久石を神様のような存在と呼ぶが、久石の作るジブリ音楽とは違うもう一方のミニマル音楽をはじめとする現代音楽を、どのように捉えているのか、話を聞いた。
「同じことを繰り返しているだけのように思えますが、光の当たり方でグラデーションが変わって行くように、どんどん変化していきます。変拍子の連続で、オーケストラと合わせるのは難しいのですが、色々な楽器とピアノの音が混ざり合って、魅力的な響きになります。」坂本リサ 談。 
「現代音楽はコンクールでも演奏しますし、好きですよ。演奏中は一瞬たりとも気が抜けませんが、お客様も緊張感を持って聴いてくださるはず。奏者とお客様が一つになれる曲だと思います。久石さんの作られた曲を世界初演出来るのは、大変光栄なことです。」坂本彩 談。


©h.isojima


久石は語る。「この曲、自分の曲の中でも1、2を争う難しい曲です。16分音符を正確に弾かないとずれてしまいます。当初、客席に音を飛ばすためにピアノの蓋を客席に向けて開けていたのですが、それがオーケストラとピアノを分断していることに気付きました。蓋を取ったら、お互いの音が聴き易くなり、上手く行きました。オーケストラもピアノも、自分の出る位置や、きっかけを確認してもらう意味で、テンポを通常よりゆっくりやりましたが、他の楽器の動きが分かり、効果がありました。これで本番は大丈夫」
かくして、本番の「Variation57」は、ピアノとオーケストラによる新鮮な音楽がホールに響きわたったが、演奏が上手く行った事は、久石の表情が物語っていた。少し呆気にとられた客席とは対照的に、喜びに溢れた表情の坂本姉妹と、オーケストラのメンバーの誇らしげな表情が印象的だった。


©s.yamamoto

20分の休憩を挟んで始まった後半は、プロコフィエフの交響曲第7番。この日のプログラムの中で一番古い曲だが、それでも1952年の作品。しかしこの曲には調性も旋律もあって、とてもわかりやすい音楽だ。センチュリーの演奏は第1楽章から拍節感を意識したリズミカルな音楽。リハーサル時に久石が「前半で「バリエーション57」をやると、正確に刻むリズムが後半の曲に影響するんですよ。」と語っていたことを思い出した。なるほど。第3楽章の冒頭、映画音楽のようなメロディをオーケストラは歌いがちだが、程よくクールでリズミカルな演奏に合点がいった。そして第4楽章の軽妙洒脱な音楽が、昨今の重い空気を一掃してくれるように心地良く感じた。前半のプログラムとは打って変わり、カラダが揺れる!第4楽章のラストは、静かに終わるバージョンと華やかに終わるバージョンがあるが、この日はオリジナルの静かに終わるバージョンで演奏を終えた。


©s.yamamoto

「これぞ久石譲の本領発揮。リズム、メロディ、ハーモニーという音楽の三要素を、有る無しと使い分けることで、音楽の魅力を強く意識付けた見事なプログラム!」と、拍手をしながらカーテンコールを見ていると、定期演奏会には異例な事だがアンコールのハチャトゥリアン「仮面舞踏会」が始まった。この曲、タイトルは知らなくても、聴いたことがある聴衆が殆どではなかったか。フィギュアスケートの浅田真央が、フリーで使用していた曲だ。曲が始まると聴衆は顔を見合わせ、頷きながらもカラダが揺れる、揺れる(笑)!この1曲で、少なくとも定期会員を希望する人数が4、5人増え、ロビーでのCDの販売数が10枚は変わったのではないか(笑)。
アンコールまで含めた緻密に計算され尽くしたプログラミングの勝利!久石譲の緻密な計算にやられたと思った。そして、久石の要求通りに演奏する日本センチュリー交響楽団の演奏技術の高さには舌を巻いた。
ホールを出て帰路につく聴衆の弾ける笑顔を眺めながら、音楽の力、エンターテイメントの力を再確認した、素晴らしいコンサートだった。

◎Interview&Text/磯島浩彰

坂本姉妹インタビュー掲載 MEG関西版Vol.9 デジタルブック


©s.yamamoto


2019年に御園座と新橋演舞場で上演された『ブラック or ホワイト? あなたの上司、訴えます!』に続き、作・演出の藤井清美が佐藤アツヒロと再びタッグを組んでおくる、完全オリジナル舞台『行先不明』の製作発表記者会見が1月20日に東京都内で行われ、主人公で“運の悪い男”佐々(さっさ)役の佐藤アツヒロ、真面目な同僚・三國役の五関晃一(A.B.C-Z)、そして佐々から社長の座を奪った檜山を演じる真琴つばさ等が登壇した。


パワハラをテーマにした“お仕事コメディ”『ブラック or ホワイト?』に対し、今回は、とある小さな旅行代理店が舞台。横領されてしまった社内の積立金を巡り、それぞれがどう対応していくのかがユーモラスに描かれる。

藤井「自分たちが思い描いていた未来や将来の夢を全て失ってしまった人たちが、自分たちの生き方をみつめなおすような作品です。今やコロナ禍で、本当に思ってもみなかった現実と向き合う人も少なくないはず。そんな世の中だからこそ、とにかくあきらめないで、行き先を探し続ける人々の物語を贈りたい」

佐藤「僕が演じるのは、不安の中でひとり希望を持ち、みんなと協力しながら問題を解決していくキャラクター…そのわりには物語の前半部分では“運の悪い男”として描かれていて、そういうドジな部分も出て来ますが(笑)、結局はチームを希望へと導く、物語の中心人物です。今回は台本を読む限り、12名の役者それぞれに均等にセリフが割り当てられていて、みんなよく喋る。本格的な稽古はこれからですが、この壮大な“お仕事コメディ”でお客さんに夢をお届けしたい」

五関「真面目すぎるほど真面目な役です。藤井先生に初めてお会いしたとき“五関さんに寄せて書いたので、あまり役作りをする必要がないと思う”と仰っていただいたのですが、稽古が始まってガッカリされる前にあらかじめお伝えしたいと思います。僕はけっこう適当な男です!(笑)。なのでこの台本にお尻をたたかれながら、稽古を重ねて、本番までには、皆さんに笑っていただけるような芝居をしたいと思っています」

真琴「『ブラック or ホワイト?』に続き、藤井さんと佐藤さんの最強タッグの中に、また入れていただいてとても嬉しい。20年振りくらいになる五関さんとの共演も楽しみです。台本を昨日いただき、深夜2時頃にページを開いたのですが、面白くて一気に読んでしまいました。12角形の卓球台を囲み、みんなで一斉にラリーをしているみたいなかんじ。私自身、人生の“行き先”をたまに見失うことがありますが(笑)、この作品を通してそれをみつけたい!」

藤井「それぞれの俳優さんが持つ資質や魅力に向けて書いたつもり。特に今回、アツヒロさんには、ガチで困っていただきます(笑)。というのも、アツヒロさんはたとえ凄く困っていても、少しも惨めに見えないし、お客さんがつい“がんばれ!”って応援したくなるような人だから。五関さんにしても、下手したら嫌われるかもしれないキャラクラーの、そのギリギリのところで絶妙に演じてくださるはずだし、真琴さんの役も、かなり浮いた存在なのだけれど(笑)“わかる~こういう人、職場にいるいる”って微笑ましく思っていただけるのではないでしょうか」

初日は3月4日(5日まで)。東京に先駆けて、先ずは名古屋の御園座で上演される。

真琴「公演はもちろんのこと、名古屋に行ったら“食”も楽しみです。今回もテイクアウトまつりになるかも…わらびもちは必須だし、鶴舞公園にあるカフェのチーズケーキも絶対、お持ち帰りしたい!」

佐藤「修学旅行ではないですが、やはりテンション上がりますね。上がったそのままで本番に臨み、先ずは御園座を成功させて、その勢いで池袋のサンシャイン劇場に向かいたい。どうかご期待ください!」


左から 真琴つばさ、佐藤アツヒロ、五関晃一(A.B.C-Z)

3/4 FRIDAY・5 SATURDAY【チケット発売中】
「行先不明」
■会場/御園座
■開演/3月4日(金)18:00 3月5日(土)12:00、17:00
■料金(税込)/全席指定 A¥10,000 B¥5,000
■お問合せ/CBCテレビ事業部 TEL.052-241-8118(平日10:00〜18:00)
*未就学児入場不可



堤幸彦監督のインディーズ映画『truth~姦しき弔いの果て~』が全国公開中だ。本作は「精子バンク」をテーマに女の本音を映し出した、俳優3人による会話劇となっている。 今回はこれが50作目となる堤幸彦監督の合同インタビューをレポート!

ある男の葬儀の夜、彼のアトリエで3人の女性が鉢合わせする。全くタイプの違う彼女たちは、それぞれ3年前からその男と同時に付き合っていたことが発覚し―。広山詞葉、福宮あやの、河野知美の3人が、ワンシチュエーションの演技合戦を熱く展開する。

―どのように企画が立ち上がったんですか?

私も含めコロナ禍で映像、舞台などさまざまなショービジネス関係者が今も苦労しています。私は今66歳で、22歳の頃からこの仕事を始めて仕事が途切れることはなかったんですが見事に0になってしまいました。その時に3人の女優から「映像作品を作りたい」と、とてつもない熱量の体当たりを受けました。ちょっと笑えて切なくて、一言では語れない映画にすべきではないかと僕から提案し、一人の男と3人の女が同時に付き合っていて、ミステリーも残る構造にしたいと思いました。

ー個性的な女性たちのキャラクターは狙い通りに?

そうですね。今を生きる女性の側面を3人に散りばめようと思いました。3人を当て書きのように書いた脚本の三浦有為子さんの神通力にも驚きましたが、巧みにキャラ分けされ、ぴったりハマりました。広山詞葉さんが演じたのは狭いエリアの中で自分がNo.1だと思っていて、そう思わないと生きていけない寂しさを抱えた女性。福宮あやのさんはシングルマザーの元ヤンキー役。妊娠中の身で参加してくれました。生命力のある役者ですね。河野知美さんも成り立ちと立ち位置が面白い役。理詰めで物事を追究し、爆発した時が面白い。三人三様の3人と作った映画が偶然にも私の50本目で、今後の作品作りの一里塚になると思います。


―3人の女性に愛される男の役に、佐藤二朗さん。キャスティングは?

資産家、多趣味、絵も達者な男。僕は佐藤二朗しか思い浮かばなかったです。同じ愛知出身で同郷の同志ですが、彼はカリスマ性、イケメンでは醸し出せない神々しさがあります。この作品は諸外国で7つの賞をいただいていて、イギリスの映画祭ではベストコメディー賞。佐藤二朗なんか誰も知らないのに、彼が出てきた瞬間、爆笑が起きたんです。世界に通じる笑える顔なんですかね。本当にキャスティングしてよかった。

ーインディーズ映画をやってみて良かった点は?

誰にも気を遣わず、気兼ねも制限もなく面白おかしくできたこと。製作委員会方式の映画は企業が出資し、その分いろいろチェックが働くんですが、私も自主規制してしまい作品が丸くなっちゃうんです。今回は全くそれを意識せずにやれた。ゲリラ的なモノ作りをしていた僕らのような人間も、長年続けていると口当たりのいいものに走りがちです。眉をひそめるようなもの、過激なもの、仰天するものが創作の原点にあることを忘れていたかもしれない。制限なしに作ることが本来の創作の第一歩。戒めに気づかされました。もう一度自分を初期化する意識を持てて良かったと思います。

ーコロナを経ての発見は?

ショービジネスが完全に閉ざされ、本当にいくつもの作品が消滅や延期になりました。我々の仕事自体が非常時には不要不急だと存在価値を全否定されているような時代で、飲食業などたくさんの方が大変な事態になってしまった。それに対し国家はある程度のセーフティーネットは発動させていると思いますが、実感もありません。でもこんな時だからこそ、インディーズとはいえ世界に評価もされた。「信じて進む」というスローガンをしっかり持ち、コツコツと立ち上がっていくことを彼女たちから教わりましたね。同じような思いをたくさんの作り手が持っていて、これまでとは違うやり方があるんじゃないかと模索しています。表現の経済的基盤も含めた再構築はコロナを経ての学習でした。前に進むための気づきになったと思います。

◎Interview&Text/山口雅


1/7 FRIDAY~
[名古屋・センチュリーシネマ、大阪・シネリーブル梅田他 全国ロードショー]
映画「truth~姦しき弔いの果て~」
■監督・原案/堤幸彦
■出演/広山詞葉 福宮あやの 河野知美 佐藤二朗
■脚本/三浦有為子
■脚本/ラビットハウス
©2021 映画 「truth~姦しき弔いの果て~」パートナーズ