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神奈川県民ホール大ホール、愛知県芸術劇場大ホール、札幌文化劇場 hitaruの三つの劇場で上演される、神奈川県民ホール・オペラ・シリーズ2019『カルメン』の記者懇談会が、9月末、東京都内で開催された。


演出:田尾下哲

今回演出を担当するのは、オペラのみならずミュージカル作品なども手がける田尾下哲。『カルメン』は、演出アシスタントやホール・オペラ、ハイライトなどを上演してきたが、本格的に作品を演出するのはこれが初めてだとのこと。その彼は、21世紀の今日、この名作オペラを上演するにあたっての二つの問題点を指摘した。まず一点は、この作品における「ロマ」の人々の描き方。ヒロインのカルメンは性的に奔放なジプシーの女性として描かれているが、「ロマの人々は自らをジプシーとは呼んでおらず、他の人々による呼称に過ぎない。また、実際には、(カップルは)一生涯添い遂げると聞いた」とのこと。二点目は、エスカミーリョの闘牛士という職業について。「今日においても闘牛士が存在することは事実だが、動物をいじめ、殺す、野蛮なショーを楽しむということは、21世紀においては看過できない」。この二点を解消すべく、「私の師匠である演出家ミヒャエル・ハンペとも相談した上で、21世紀のアメリカのショービジネスの世界に置き換えて上演することにしました」。すなわち、バーレスクのクラブに出演していた無名のカルメンが、オーディションを受けてブロードウェイの舞台に進出するも、業界の大物に干されてサーカスでドサ回り、しかしながらハリウッドの大スター、エスカミーリョに見出されて銀幕のスターになるというのが今回の演出コンセプト。終幕はアカデミー賞のレッド・カーペットのイメージになるというから興味津々だ。
 もう一点、田尾下が指摘したのは、作品における指輪の扱いについて。終幕、エスカミーリョと共にやって来たカルメンは、もらった指輪をホセに投げ返すが、「元カレの指輪を持っていたりするのかどうか。今回、指輪の行方もていねいに描いているので、注目してほしい」そうだ。


カルメン:加藤のぞみ(メゾソプラノ)

続いて挨拶したカルメン役の加藤のぞみ(アグンダ・クラエワとダブルキャスト)は、今回がロール・デビュー。「夢の夢のまた夢だった役で、藝大生だったときからいつか歌いたいと思っていました。イタリアで勉強した後、移り住んだスペインでは、ロマが海辺で歌い踊る姿に遭遇することも多い。今回やっとカルメンができる! と思ったのですが、ショービズで行きますと言われ、あれ? と。稽古初日はまずダンスから始まり、正直とまどいがあったのですが、『カルメンは絶対あきらめない』との田尾下さんの言葉を聞いたとき、腑に落ちるものがあった。イタリア、スペインで悔しい思いをしてきた、その闘争心は役柄に活かせると思うので、新しいカルメンを作っていけたら」と抱負を述べた。


ドン・ホセ:城宏憲(テノール)

ドン・ホセ役を務める城宏憲(福井敬とダブルキャスト)は、「一幕から四幕まで詳しく稽古がつき、全貌が見えてきた。(田尾下)哲さんとの仕事は二、三回目になるが、僕が新国立劇場でイギリス人の講師に教わったこと、すなわち、歌を感情から、動きからと多角的に解釈するということをまさに求める演出家だと思う。今回も、ダンスをはじめ、のけぞる、這いつくばるといった動きも入っていて、身体表現としてもとても魅力にあふれている。ドン・ホセは、話の渦の中心にはいないが、カルメンの生き様を見せる影。話的にはカルメンの足を引っ張るけれども、どこまでもカルメンを支えたいと思っている。ダンスのシーンはないが、ピエロの姿になったりする場面があるので、新しい要素を加えて作っていきたい」と、新演出への意気込みも高い。

“ショービズ”『カルメン』のアイディアはどこから? との問いに、田尾下は、作中の歌についての分析を披露。ドン・ホセの「花の歌」、ミカエラのアリアなどは登場人物が心情を吐露する曲として歌われるものだが、カルメンが酒場で披露する「ハバネラ」はあくまで歌手として歌っているものであり、最終的には皆と大合唱になるエスカミーリョの「闘牛士の歌」も、「初めてこの作品を観た人にとっては歌手が歌っているように見えると思う。そこで、エスカミーリョが大スターとして歌を歌っているということがおかしくない設定を考えた。映像、舞台、ミュージカルに出演し、プロデュースも行なう、ヒュー・ジャックマン的なイメージ」と、斬新なコンセプトの源を明かす。作中登場する「闘牛士」や「兵士」といった言葉については、あだ名として扱うとのこと。
 各場面のヴィジュアル・イメージ、イメージ・ソースについてだが、バーレスクの場面については『NINE』や『シカゴ』の雰囲気で、黒の下着のコスチュームも登場するとか。ブロードウェイの場面は『ムーラン・ルージュ』の雰囲気で、チャールストン・スタイルも登場。サーカスの場面は、「世界ツアーに出始める前のシルク・ドゥ・ソレイユ」というから設定が細かい。終幕のレッド・カーペットの場面には、メット・ガラのイメージも重ね、レディー・ガガの衣装も参考にしているという。
 カルメンは21世紀の女性にとって感情移入しやすいキャラクターと思われるが、ドン・ホセについてはどう考えるか? との質問に対しては、田尾下は「一途でプライドの高い男だけれども、カルメンにとっては何者でもない。カルメンはビッグ・スターと結婚すべき。ドン・ホセは足を引っ張るタイプの男で、カルメンにとってはよくないタイプ」とバッサリ。「さきほど、カルメンを支えたいと言ったけれども」と城が反応すると、「迷惑」とまたまたバッサリの田尾下、そんな二人のやりとりに笑いが起きる。
 カルメンが発する「自由!」の一言について尋ねられた加藤は、「カルメンは高みに行きたい人。ドン・ホセが自分を愛する姿がすごく邪魔になる。その彼の『花の歌』を聞いていてふっと女性に戻る弱さ、ある種の決意をする様を見せたい」と語る。田尾下によれば、この場面は、スターダムにのし上がった自分の姿をカルメンが夢想するが、ドン・ホセには見えないという演出になるとのことで、『シカゴ』の「ロキシー」のナンバーをも思わせるシーンとなりそう。オペラ・ファンのみならず、ミュージカル・ファン、映画ファンにも大いにアピールしそうなこのプロダクション。初日の幕が上がるのを心待ちにしたい。

取材・文=藤本真由(舞台評論家)

◎指揮/ジャン・レイサム=ケーニック◎演出/田尾下哲
◎出演/
カルメン:加藤のぞみ(11/2)/アグンダ・クラエワ(11/3)
ドン・ホセ:福井敬(11/2)/城宏憲(11/3)
エスカミーリョ:今井俊輔(11/2)/与那城敬(11/3)
ミカエラ:髙橋絵理(11/2)/嘉目真木子(11/3)ほか
合唱:二期会合唱団、愛知県芸術劇場合唱団
児童合唱:名古屋少年少女合唱団
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団

<公演情報>
11/2 SATURDAY・3 SUNDAY 【チケット発売中】
グランドオペラ共同制作
ビゼー作曲『カルメン』
(全4幕/フランス語上演・日本語及び英語字幕付き/新制作)
◼️会場/愛知県芸術劇場大ホール
◼️開演/各日 14:00
◼️料金(税込)/全席指定 S¥15,000 A¥12,000 B¥9,000 C¥6,000円(U25 ¥3,000) D¥4,000円(U25 ¥2,000)プレミアムシート¥20,000
※未就学児入場不可。託児有(有料・要予約)
※U25は公演日に25歳以下対象(要証明書)



映画「惡の華」が9/27(金)から全国公開されます。原作は累計発行部数300万部を記録する押見修造の代表作であるコミック。押見作品はこれまでにも「スイートプールサイド」や「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」など、映画化が続いています。「惡の華」は2013年にTVアニメ化、2016年には舞台化もされています。監督は「片腕マシンガール」や「電人ザボーガー」などカルト&ファンタスティックな作品を作り続ける井口昇。今回は公開に先立って名古屋市のTOHOシネマズ名古屋ベイシティにて行われた舞台挨拶をレポートします。挨拶には主人公の春日高男役の伊藤健太郎と、春日の人生観に決定的な影響を与える仲村佐和役の玉城ティナが登壇しました。


思春期特有の鬱屈とした感情を題材にした「惡の華」。監督の井口昇は原作を数ページを読んだだけで「この作品を映画化するために、映画監督になったのではないか」という直感と衝撃を受け、自ら実写化に向けて奔走したとのこと。片や原作の押見修造は「井口監督に『惡の華』を撮っていただくことは、長年の夢でした」とコメントしており、その相思相愛ぶりが伺えます。構想から7年。井口と押見はお互いにディスカッションを重ね、ストーリー展開からセリフなど脚本の細部に至るまでこだわったそうです。11巻ある原作は<中学生編>と<高校生編>から構成され物語は時系列に進んでいくが、映画では高校生編で始まり中学生編を回想していくという展開。絶対に外せない原作のディテールを再現しながら、映画ならではのダイナミックな描写が功を奏した、刺激的で良質な青春グラフィティに仕上がっています。

―この映画のキャストに起用されたことについて
伊藤:井口監督の作品に出演させて頂くのは2回目です。監督やプロデューサーの方から、この映画が構想から7年ほどかけて練られた作品だとお聞きして、そんな作品に出演させて頂けることが嬉しかったです。プレッシャーというよりは感謝の気持ちが大きかったです。
玉城:私は原作の漫画が大好きだったんです。その中でも圧倒的なキャラクターを持つ仲村の役を私に託して頂いてとても有難かったです。過激なセリフや描写にもチャレンジしていきたいなと思いました。

―監督がこだわった「ブルマを嗅ぐシーン」について、
伊藤:家族が観たらどう思うだろうかと心配です(笑)。ただ、ここは映画「惡の華」を象徴するシーンでもあり、監督には「ブルマの分子まで吸い取るくらい嗅ぎとってくれ」と言われました(笑)。
玉城:雨のせいでこのシーンが撮影初日のファーストカットになったんです。
伊藤:逆に春日というキャラクターを早く掴むきっかけになってよかったです。


―皆さんへのメッセージ
伊藤:僕らが本気で、全身全霊をかけて作った映画です。だから、どんな方々に観て頂き、どんな捉え方をされてどう消化されるのかが楽しみで仕方ないです。この作品は皆さんに観て頂いてからどんどん化けていくような、そんなパワーを持っていると思います。
玉城:原作の漫画もそうですが、中高生時代にこの作品に出会っていたら何か救われる部分があったかもしれないと、そう思わせる作品です。この映画を観て、皆さんの中に何か一つでも残るものがあれば嬉しいです。

ガールズ・スリーピースバンド、リーガル リリーの音楽も印象深い。映画の中で特に印象的な場面で流れる挿入歌「魔女」は押見修造の大ファンであったたかはしほのかが「惡の華」を読んでいた高校生の時に描いた楽曲。主題歌もたかはしほのかがコミックを初めて読んだ時の衝撃を元に書き下ろした新曲だとのことです。脚本は、アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」などの岡田麿里。キャストは伊藤と玉城のほか、春日が憧れる佐伯奈々子役に、オーディションで井口監督が「佐伯を演じられるのは彼女しかいない」と言わしめた16歳の秋田汐梨。高校時代の春日が交流を深める常盤文役に飯豊まりえなどが名を連ねます。

9/27 FRIDAY〜全国ロードショー
映画『惡の華』
◎原作/押見修造「惡の華」(講談社『別冊少年マガジン』所載)
◎監督/井口昇
◎脚本/岡田麿里
◎製作/『惡の華』製作委員会 ◎配給/ファントム・フィルム
©押見修造/講談社 ©2019映画『惡の華』製作委員会


アメリカ人劇作家ルーカス・ナスの手による『人形の家 Part2』は、世界演劇史上に輝くイプセンの『人形の家』の、あっと驚く“後日談”。『人形の家』のラストで夫や子供たちと暮らす家を独り出て行くヒロイン・ノラの姿は、1879年の初演当時より、演劇界を越えて広く社会的論争を巻き起こしてきた。そのノラが出奔から15年ぶりに家に帰ってくるところから、『人形の家 Part2』は始まる。栗山民也演出による日本初演の舞台を観た(8月20日19時、東京・紀伊國屋サザンシアター)。


撮影:尾嶝 太

帰ってきたノラ(永作博美)をまず迎えるのは、乳母のアンネ・マリー(梅沢昌代)。アンネ・マリーはノラが出て行った後も家に残り、ノラの夫トルヴァル(山崎一)やエミー(那須凜)ら子供たちの世話をしてきた。ノラがアンネ・マリーに投げかける「あなた、私が何をしてたか知りたいんでしょう?」はそのまま、『人形の家』後のノラの人生をどのように想像しましたか? という、劇作家から観客への問いかけでもある。そして、ここでナスが提示するノラの“その後”は痛快さに満ち満ちている。ノラが選んだ生き方が、イプセンが『人形の家』を執筆する際にモデルとした女性の職業とも重なることを鑑みるに、今作が優れた『人形の家』論たり得ていることにも感服する。
さて、15年間、家族とまったく関わりなく生きてきたノラだが、困った事態――これも、『人形の家』での“困った事態”のリフレインである――が発生し、手助けを求めて帰ってきたのだった。アンネ・マリー、トルヴァル、そして、娘のエミーと、ノラは次々と対峙してゆく――言葉をもって。出て行った者。残された者。ぶつかり合う言葉から、それぞれの15年、それぞれの心情が描き出されていく。二人芝居が五場続くという今作の趣向が、優れた役者の演技を得て、一層のひりひりとしたスリリングさをもって客席に迫る。舞台装置もト書き上シンプルで、作中、大きな出来事が起きるわけでもなければ、物語上、何か仕掛けがあるわけでもない。ただただ、人間が人間と向き合い、己の存在を賭けて互いにぶつかり合うこと、その真理を尊び、休憩なし105分、一瞬たりとも見逃したくないと思うほどの濃密で緊迫感ある時間――それでいて、笑いの要素もきちんとあるところが、これまた人生を映し出している――を展開した、栗山民也の演出に敬意を表したい。今年上演された作品の中で三本の指に入る好舞台である。


撮影:尾嶝 太

永作博美のノラは実にチャーミング。このノラならば、絶望と孤独の果て、“転生”を経て、今あるような姿で凛々しく生きていることが非常に腑に落ちる造形である。一度舞台に出たらラストまで引っ込めないという過酷な役どころだが、役柄上要求される緊張感を途切れさせることのない力演を見せた。トルヴァルにも恋のお相手がいた――と知り、何とか笑いをこらえようとしながらもやはり笑わずにはいられない際の、ソファの上で転げまわる姿のかわいらしいこと。そのキュートさが、一人の人間として、自分の心のままに素直に生きようとするヒロイン・ノラの魅力を引き立てている。であるからこそ、終幕、ノラがまたしても固める覚悟、その壮絶さが、観る者の心にひときわ痛烈に突き刺さる。
 夫トルヴァルを演じる山崎一は、『人形の家』でのノラの劇的な出奔に対して脚光の当たることのない“出て行かれた者”の心情を、圧倒的な説得力をもって描き出す。彼が、「人といること」について「そんなに難しくなくちゃいけないのかな?」と途方に暮れたように吐露するセリフは、この社会にあって、他者と共に暮らして行かざるを得ない人間存在の根源に突きつけられた言葉でもある。こまつ座『父と暮せば』(2018)、『ハムレット』(2019、ポローニアス役)と素晴らしい舞台が続く山崎の名優ぶりが、本作でも堪能できる。
 ノラの母親的存在ともいえる乳母アンネ・マリー役の梅沢昌代も、生きていくことへのある種の老獪さをにじませつつ、年齢的にも世代的にも、ノラの生き方、考え方と相容れないものをもって生きる同性として、ノラと激しく相対する。娘エミー役の那須凜は、さばさばとした現代っ子ぽさが、ノラの次の世代の生き方、考え方を象徴し、示唆に富む。ノラとエミーの考え方の違いは、ミュージカル『マンマ・ミーア!』のドナとソフィ親子をも思わせるところがあり、実に興味深い。
 自分の心に嘘をつかず、あくまで正直に生きようとすること。そのためには、ときに世間と相容れなかったとしてもやむを得ない…との覚悟を決めて、己の闘いを、その生の限り続けていかなくてはならないこと。その美しさ。140年後のノラもまた、大いに物議を醸すシンボリックな存在である。

文=藤本真由(舞台評論家)


9/23 MONDAY・HOLIDAY 【チケット発売中】
舞台「人形の家 Part2」
◎作:ルーカス・ナス◎演出:栗山民也◎翻訳:常田景子
◎出演:永作博美、山崎一、那須凜、梅沢昌代
◼️会場/穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール
◼️開演/13:00
◼️料金(税込)/全席指定 S¥6,500 A¥5,000 B¥3,000 ほか
◼️お問合せ/プラットチケットセンターTEL.0532-39-3090(休館日を除く10:00〜19:00)


フォーククルセダーズの中心人物として「帰ってきた酔っ払い」「あの素晴らしい愛をもう一度」などの名曲を生み出したのち、医者を志し留学。その後、医師と音楽の活動を並行し、マルチに活躍するきたやまおさむ。今回のコンサートでは、専門である精神科の知識も活用し、かけがえのない音楽の魅力を紐解きます。

―九州大学を勇退されたのが2010年。現在もクリニックと音楽活動を両立されていらっしゃいますね。

1週間に4日間医者をやっているんですけど、週末は学会や協会の行事があることが多くて。そうすると毎年8月が私にとって「夏祭り」と称して音楽活動を行う期間になるんです。
自ら「祭り」というくらいだから、とても楽しみにしている時間です。今年は8月に3回コンサートがあります。

―そのうちの1回がこの名古屋でのコンサートですね。加藤登紀子さんとのトーク&コンサートとあります。

私は主にトークを担当するのですが、今回は皆さんに、人にとって音楽とはどんなものなのか?といったことをお話ししようと思っています。音楽は人生にとって欠かすことのできないものである。それをどういうふうに語るか?音楽は言葉だけではなくって歌っているわけなんです。まあ、私の持論があるので、なぜ音楽が必要なのか、心の健康にとって大事なのかという話をします。

―音楽は会話ではなくてメロディもあり、歌う人の声色もあります。

言葉以前の言葉みたいなものがあると思うんですよね。母親が子どもに聞かせる子守唄というのは子どもにとってその言葉の通りではなくて、それ以前の言葉みたいなものを含んでいるだろうと思うんですよね。「眠れ、よい子よ」と言葉で言っても眠らない子どもがほとんど。どう聴こえているかは、言葉以前の体験があろうかと。結局のところ私は、最初は歌なんじゃないかと思うんです、言葉は。お母さん皆んな、は子どもに向かって歌っているんじゃないかと思うんだよね。それを「マザリーズ」と呼んでいるんですけど、マザリーズというのは世界中のお母さんが子どもに話しかけるときに歌みたいに話しかけることを言うんです。母親言葉という意味ですね。この母親言葉というのは子どもとの絆を作るためには随分役に立っていて、声はピッチが高くてメロディを持っているんです。これを使ってみんな話している。それが子どもに使って、「〇〇ちゃん〜」って言っているわけですよね。

ー音楽の本質がマザリーズにあるということですね。

コンサートって、この声をみんな聴きに来るんじゃないかと思うんです。小さな子どもはマザリーズのメッセージを読み取ったりしているんだけど、そのうち成長し、マザリーズの内容を意識したり考えたりして、やがて言葉になっていくんだと思うんですけど。そういう言葉以前の言葉の要素をを歌自体が持っているので、私たちは歌を絶対に日常生活で必要としているんだと思うんですね。赤ちゃんはその言葉以前の言葉を聴いて安心して眠るのですが。この安心感を大人の私たちも必要とするわけです。では、どんな言葉や歌を聴くことで得られるのか。どんな聴き方でそれと出会うことができるのかという話をして、そんな話とともに聴く加藤登紀子の歌!これは入場料の三倍は役に立つよ(笑)。

―加藤登紀子さんの歌声も非常に重要になってきますね。加藤さんの歌の特徴は何かお感じになりますか?

それはやっぱり女性性が一つ中心にありますね。あの人は歌の中に虚しさがないのよね。虚しさを埋めてくれる一つの装置みたいなものを持っていますね。男性の歌には虚しい歌が多いと思うんですよね。女性の歌には寂しさみたいなものがあるけど、虚しさを歌わないね。一つの空間みたいなものが充実している。男性はそこにすごく隙間風が吹くんだろうな。そしてその隙間風を味わうんだけど、加藤さんと話してると「男はいつもそうよね」とかって言うよ。そしてエピキュリアン(快楽主義者)でもある。僕もそれは似ているところがあって、楽しむということはとても大事だと思っているし、どうしたら楽しいのかということをいつも心がけている。


―それは仕事も楽しむというような意味でしょうか?

これは僕の考えなんだけど、今、僕らは仕事をしているわけだよ。だから、ちっとも遊んでいない。私たちは。この遊びたい部分と大人として仕事をしなきゃいけない部分というのは分裂しているわけだ。あるいは、社会的に適応するためには大人をやっているけど、実は子どもみたいな部分があるわけじゃないですか。だから大人の人生と、子どもの遊びの部分が両方同じところにあるということは、奇跡みたいなものだと思うんだよね。そういうことは普通許されない。仕事は仕事。遊びは遊びであって、ここで遊んじゃいけないんですよ。だから、それを一緒のところに置くということはいいかげんだし、許されなくなりつつある。
それを、このトーク&コンサートで僕は両立させようと思っている。ここでは、考えることと歌うことの両立になるんだけど。

―きたやまさんご自身も日常生活と音楽活動を両立されていますね。

アマチュアバンドだった時には、充実した人生のほうが大事で、音楽というのはそのための方法だったと思う。女の子にもてたいからバンドを始める。女の子を口説くために歌を作るとか。それは歌のための人生じゃなくて、人生のための歌だと思う。ところが、職業的音楽家になった途端にこれが逆転するわけ。人生のための歌だったのが歌のための人生になっていく。それは僕からすればフォークソングじゃない。フォークソングは人生のための歌だったと思うんだよね。加藤登紀子さんもそういう人生だと思いますよ。だから、人は歌を通して加藤登紀子という人の人生を感じる。シャンソンというのはそういうものだと思う。

―きたやまさんにとってライブとはどのような場であるのでしょうか?

それはまさに、「祭りの1回性」というやつでしょうね。僕の著書では「聖なる1回性」という言葉を使っています。僕は、人生は1回だと思っている。コンサートも1回だと思うんです。ですから、加藤登紀子と北山修のこのコンサートも、多分ご覧になる方にとってこの日しかないものをご覧になると思うんですよ。人生が面白いことを一番具体的に示してくれるポイントですよね。この場におけるあなたとの会話も、これっきりですからね。この空気や面白さは当事者にしか分からないでしょう?これが一旦写真に撮られて、活字になった途端にその薄っぺらなこと!(笑)


8/22 THURSDAY 【チケット発売中】
加藤登紀子&きたやまおさむ
トーク&コンサート
◼️会場/愛知県芸術劇場 コンサートホール
◼️開演/15:00
◼️料金(税込)/S¥7,500 A¥6,500
◼️お問合せ/中京テレビ事業 TEL.052-588-4477(平日10:00〜17:00)
※未就学児入場不可 ◎共催/@FM


『神の子どもたちはみな踊る』は、1995年の阪神・淡路大震災の後に出版された村上春樹の連作同名短編集より、「かえるくん、東京を救う」と「蜂蜜パイ」の二作品を基にして構成された舞台作品。戯曲を担当したフランク・ギャラティはアメリカ出身の演出家・俳優・脚色家で、同じ村上の『海辺のカフカ』の脚色も担当している。『海辺のカフカ』は故蜷川幸雄により演出され、今年上演されたラスト・ステージに至るまで、国内外で高い評価を得てきた。『神の子どもたちはみな踊る』も蜷川による演出が予定されていたが、その死により、劇作家・脚本家・演出家の倉持裕に演出がバトンタッチされた。ちなみに、ノーベル賞作家カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を蜷川が演出した際、倉持が脚色を手がけたという縁がある。


撮影:宮川舞子

舞台は、段ボール箱とおぼしき物体が三方に天井高く隙間なく積み重ねられた空間で展開。「蜂蜜パイ」の主人公である作家の淳平(古川雄輝)が執筆しているのが「かえるくん、東京を救う」という構造になっており、キャストはときに複数の役柄を演じ分ける。倉持の演出は、二つの世界を行き来する複雑な構造の戯曲をよく整理し、わかりやすくスピーディに展開。中根聡子の美術も深い印象を残す。


木場勝己 撮影:宮川舞子

そして、何と言っても、「かえるくん」と「語り手」を演じる木場勝己がすばらしい。木場は蜷川演出の『海辺のカフカ』において、知的障害があるものの猫と会話ができる「ナカタさん」に扮して名演を見せており、演出家が亡くなった後の上演でもその魂を伝える上で重要な役割を果たしていた。「かえるくん、東京を救う」では、冴えないサラリーマン片桐(川口覚)の前に、2メートルはあろうかという蛙の「かえるくん」が現れる。「かえるくん」は片桐に、地底で眠っていた「みみずくん」が神戸の地震で目を覚まし、東京に大震災を起こそうとしていることを告げ、それを止めるための自分の戦いに手を貸してほしいと頼む。困惑しながらも片桐は承諾する。「かえるくん」を演じる木場は、蛙のかぶりものと手は装着しているものの、着ぐるみを着用しているというわけではない。その上で、自分は蛙であると告げる、ある種幻想的なセリフに説得力をまずは持たせなければ、今回の作品自体、成立しないところがある。そして、木場が語る「かえるくん」の真摯な言葉に耳を傾けていると、…不思議なことに、次第に、彼が巨大な蛙に見えてくる。「語り手」との二役を担当する木場の身体を通じて、村上春樹の言葉が心の奥底に届けられ、しみ渡ってゆく感触が心地よい。


左:木場勝己 中央:松井玲奈 右:川口覚 撮影:宮川舞子

『海辺のカフカ』を観ての感覚にも通じるが、『神の子どもたちはみな踊る』においても、この世に生まれた人間、その一人一人に与えられた生におけるそれぞれの使命について考えずにはいられない。「ナカタさん」にも「かえるくん」にも使命があり、一見冴えないサラリーマンである片桐にもまた、「みみずくん」との戦いにおいて「かえるくん」を助けるという使命があることがわかる。人の生は、あるときには明らかな、そしてあるときには一見わかりにくい輪によって、つながっている。それぞれの使命もまた然り。壮絶な戦いの果て、「かえるくん」は「みみずくん」との戦いをイーブンに持ち込み、東京の大地震は阻止される。そのとき、「かえるくん」と片桐が果たした役割は、二人以外に知るものはない。そのようにして、この世界は回っている。自分の人生について、いま一度振り返ってみたくなる作品である。
(8月1日14時、よみうり大手町ホールにて観劇)

文=藤本真由(舞台評論家)

<公演情報>
8/21(水)・22(木)【チケット発売中】
舞台「神の子どもたちはみな踊る after the quake」
◼️会場/東海市芸術劇場 大ホール
◼️料金(税込)/全席指定 ¥10,000
◼️開演/8月21日(水)19:00 8月22日(木)13:00
◼️お問合せ/CBCテレビ事業部 TEL.052-241-8118
※未就学児入場不可