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「田辺 剛」Web 限定インタビュー
取材日:2015.07.26


京都を拠点に活動する演劇ユニット「下鴨車窓」。
劇団の形式を取らず、その都度キャストを集める
プロデューススタイルで作品づくりを行っています。
その独特な劇世界を生み出すのが、気鋭の劇作家・演出家として注目される田辺剛。
話題の新作を携え、この夏、三重に登場します。

新作の「漂着(island)」は6月に京都で初演後、香港・マカオでも上演されました。現地での反応はいかがでしたか?

字幕付の上演にしましたが、短い会話のやりとりのシーンではその内容を示すだけで、一言一句を字幕で説明することはしませんでした。でもとても熱心に観てもらえたようです。「頑張って観たけどちょっとわからない」という人もいれば、「かすかなヒントを手がかりにイメージが膨んで面白かった」という人もいました。アフタートークでは質問の手もたくさん挙がって。終了後に楽屋まで追いかけてきて質問してくれる人もいて、びっくりしました(笑)。香港は演劇がとても盛んらしいですね。狭いエリアの中に小さい劇場がたくさんあるそうです。

下鴨車窓としての海外公演は初めてだそうですが、その経験は今後の活動や劇作に影響しそうでしょうか?

それはありますね。40歳にもなってどうしてこんなカルチャーショックを受けたんだという感じがありました。中学生かと思うぐらいに視界が開けて。今後、作品が変わっていくかどうかはちょっとわからないけど、公演の打ち方については考えるところがあります。僕は京都を本拠地にしていますが、京都だけで上演するものもあれば、国内をツアーで回ることもあります。今後は、アジアで上演する機会を探っていきたいなと思うようになりました。

田辺さんが作る世界を、より多くの人に体感してもらえますね。

そうですね。20代の頃は全く逆だったんですよ。例えば、山奥に籠ってひたすら壺を作る陶芸家っているじゃないですか。あんな風に演劇を作りたかったんです。観客のことを気にせずに、とことんいい壺を作りたいと。ところが30代になると、やっぱり山を下りたいと思い始めて(笑)。壺を見せに行こうと思うようになりました。そういう思いがどんどん大きくなっていって、今回の「漂着(island)」はツアーで回る都市がこれまでで最多ですね。京都は街が小さいんです。演劇を作る環境は凄く整っているんですけど、見せるという部分では広がりに欠ける。だから、京都で活動している劇作家、演出家はみんな、30代後半ぐらいになると外に出て行くスタイルを取ります。

作品をどんどん外に出していきたいと思われた時期は、「下鴨車窓」としてプロデュース方式の作品づくりを確立された頃ですか?

下鴨車窓を始めたのは20代の後半なので、壺後期の最後ぐらいです(笑)。正確に言うと、30歳から31歳の1年間、文化庁新進芸術家海外留学制度でソウルに行って、帰ってきてからですね。京都で作ったものを京都で終わらせるだけではないカタチでやっていこうかと。「東京でもやろうよ」と言ってくれる人がいたり、そういうのがきっかけなんですけど。


演劇を始められたのは京都大学在学中ですね。

はい、京都の学生劇団に所属していました。初めは劇作をやるつもりはありませんでした。表現というものに携わりたくて、演劇というのはどんな風になっているんだろう、あの舞台はどうやって作られるんだろうということを素朴に知りたかっただけ。でも劇団の先輩たちに「次の作品はお前たちでやれ」と一喝されて、「仕方ないから、田辺が演出する?」って。そこから始まった訳です。僕の場合、外からきっかけが来てそれに乗るということが多い。もちろんそこで自分の判断はあるんですけど。その後、学生劇団が3年ぐらいでなくなっちゃって「どうしようかな」と思っていたら、一般市民向けの演劇セミナーで最後に仕上げの公演があるというので参加したんです。そこで作ったのが下鴨車窓の前身になる劇団。そこでも仲間に促されて脚本を書くようになって、今、仕事になっているんです。当時は恥ずかしくて仕方なかったですね、書くのが。鴻上尚史さんのパクリみたいなものも書いていました。それで3本目に書いた作品が劇作家協会の新人戯曲賞の最終候補に残って書籍化されたんです。僕は京大に入って哲学の研究者になろうと思って大学院に進んでいたんですが、凄い就職氷河期で大学院を出たところで行く宛がない。それと、考えたことを論文にして発表する研究者の仕事って、劇作と一緒だなと。最終的に論文にするのか戯曲にするのかアウトプットの違いがあるだけ。で、前向きにやれるのはどっちかなと考えて、演劇を選んで大学を辞めるという決断をしたんですね。実家に帰って親に謝って「でも俺の戯曲が本になったから」って。本はやっぱり強かった(笑)。そこから模索しながらやり始めて、30歳で劇作家協会新人戯曲賞をいただきました。それがきっかけで文化庁のプログラムにも採用してもらって1年間留学して。そこから大小いろいろありますけど、仕事をいただくようになってという感じですね。

「哲学」を、演劇を通して追究する中で見つけたいのはどういうものですか?

誤解を恐れずに言うと、成果を出すことではなかったりするんです。常に考え続けている。創作することが何かしら考えることといつも一致していて、その営みがどこまで続けられるのか。答えが出るや否やまた問いが生まれるし。たぶんそれに飽きるまで、あるいは何かしらの外的要因で出来なくなるまでずっと続けるんだろうなという気がします。考える作業としての演劇。だからちょっと特殊なのかもしれません。例えば、客席に座って「さぁ、楽しませて」というお客さんにはおそらく合わない。僕の「考える作業」に付き合わされることになるから。今の時代のこととか社会のこととか、人間に関することとか、そういうものに対して僕が考えることに付き合ってもらえたらいいな、という思いでやっています。ただ、論文と違うのは、自分の考えを直接に説明するのではなく「物語」に織り込むようにして伝えるということだろうと思っています。


「漂着(island)」は、主人公である映像作家の構想と現実の生活との交錯の中で物語が進んでいきます。そこでキーになるのが、浜辺に流れ着く「瓶詰めの手紙」だそうですが。

マンデリシュタームというロシアの詩人が書いたエッセイに「詩とは瓶詰の手紙みたいなものだ」という一節があったんです。どういうことかと言うと…例えば今、僕が思いを発して聞いていただいて、「あ、そうか」と納得していただけるという、そのやりとりや自分の思いを伝えるための道具が言葉ですよね。ネットやメールになると、なおのこと道具としての度合いが強くなる。でも海に投げた瓶詰の手紙は、宛先もないしどこに辿り着くかもわからない。仮に辿り着いたとしても開けられるとは限らない。万が一どこかの砂浜に辿り着いて見知らぬ誰かが開けたときに初めて、その手紙はその人に宛てたものになる訳です。詩というのはつまり、今生きている人たちの間で直接伝えるものではなくて、未来に向かって、しかも誰という宛もなく綴られた言葉なんだと。それが強く印象に残って。普段、僕たちが生活している上ではまさにツールとしてしか言葉を使いませんよね。でもマンデリシュタームは詩で生きている人だから、彼にとっての本当の言葉はそういう言葉なんです。もちろんそうした言葉の使い方で日常生活は送れません。今、僕たちが刹那的に生きている中で、あてのないものや果たせないかもしれない目的はまず除外されます。だけど、もし言葉というものの本質がマンデリシュタームが言うようなものだとすると、僕たちの今の生活は凄く貧しいんじゃないかと思うんです。

生活の中で言葉のやりとりが報告と連絡だけになっている…。

その繰り返しでしかつながっていないと、やっぱりある虚しさを覚えますよね。もちろんマンデリシュタームが言っているのは詩についてですが、僕はそこからいろいろもう少し広げて考えていきたいなと思って。むしろ無駄なものであるとか、もうちょっと引くと虚構と現実…虚構というのは作り物ですよね、それが実は僕たちの生活を支えているんじゃないかって。結局、人間の行き着く先は死ですが、死ぬことの目的というのはないですよね。ただ死ぬだけ。今回の作品で、現実の生活は目的のないことに支えられているということを示してみたいと思うんです。

田辺さんの戯曲も後世に残っていく訳ですから、未来への宛名のない手紙ですね。

だから瓶に詰めて投げなきゃと思っています。戯曲はなかなか出版が出来ませんから、最近は電子書籍化してネットで販売しているんです。現代の瓶詰め(笑)。買って読んでくれた人の思うところを引き出すことが出来て、さらにほかの誰かとの会話を生むようなことになれば、それが一番幸せだなと思います。




8/22 SATURDAY
8/23 SUNDAY

Mゲキ!!!!!セレクション
下鴨車窓#12「漂着(island)」

チケット発売中
◎脚本・演出/田辺剛
◎出演/藤原大介(劇団飛び道具)、柏木俊彦(第0楽章)、福田温子(てがみ座)
飯坂美鶴妃(枠縁)、菅一馬(デ)
■会場/三重県文化会館 小ホール
■開演/8月22日(土)18:00〈アフタートークあり〉 8月23日(日)14:00 
■料金/全席自由 一般¥2,000 25歳以下¥1,000 ペアチケット¥3,600(22日公演のみ)
■お問合せ/三重県文化会館 TEL.059-233-1122
※未就学児入場不可