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「小曽根真」Web 限定インタビュー
取材日:2016.03.16


ジャズピアニストとしての活躍はもちろん、舞台・映画音楽を手がけるほか、
近年はクラシックにも積極的に取り組む小曽根真。
2014年にはニューヨーク・フィルハーモニックのアジアツアーにおいて
日本人ジャズピアニストとして初めてソリストに抜擢されるなど、
新たな領域でもさらなる高みへと進化し続けています。
そんな彼が、師であるチック・コリアと共演するコンサートが目前。
新たな景色を見た上でのジャズへの原点回帰ともいえるプレイに、期待が高まります。

近年ではジャズに限らず、クラシック音楽へのアプローチも積極的に行なっていらっしゃいます。演奏するにあたってジャンルをどう考えていらっしゃいますか?

日本料理と中華料理があります。日本料理の手法で中華を作っても、中華料理を体得したとはとてもいえませんよね。まずは下手でもちゃんと中華の手法で中華料理を作ってみる。精一杯のリスペクトを持ってそれがどんなものかをまず知って、感じるんです。音楽でも同じ。大切なのは技術を習得するだけではなく、自分の感性で感じて、それを自分の言葉として表現できるようになることなんです。クラシックを何十年もやってきた方には、その人にしか見えない景色がある。僕はそれを見たいんです。それを見ることによって自分のジャズの景色も絶対変るはずだと思うんですよ。僕はどこへ向かっても本物でありたいと思うんです。

挑んだところでまず分かるのはどんなことなのでしょうか?

まず、自分のボキャブラリーの少なさに気がつきます。この気持ちをどう表現したらいいんだ。切ないという言葉を知らなければ、悲しいしか知らないけど悲しいじゃない。そういう言語を音楽の中で覚えていくわけです。教育でいうと、歴史も年号や事実だけをテストに出すと無機質なものになる。人物や背景、因果関係を知ると、人間が見えるから面白いわけです。本質を知りたいと思うのは音楽も同じです。その本質を知ることによって、自分の言葉が生まれてくるんだと思います。音楽は具体性のない言語であり、具体化されていない分感じ方が自由で、感じる部分を共有する力がものすごく強くなるんです。

クラシックとジャズ、音楽への向かい方はどう違いますか?

逆にクラシックを演奏するようになってきて気づいたことは、結局ジャズも同じだなということです。表現方法は違います。同じ物語を語るのに英語なのかドイツ語なのかという違い。英語しか話せない人がドイツ語を勉強するのは大変ですが、慣れてくるとドイツ語でも相手に自分の感情を伝えられるようになってくるんです。でも伝えたい事はやっぱり同じ。感情なんです。そして、クラシックでいうと曲への理解や本質を知ること。ジャズに置き換えると、自分が伝えたいことが明確にあること。それを言語という名の音楽を通して外に出すということです。


音楽を発信する人間の、責任や決意の重さを感じます。

これは本当にごまかしの効かない怖い言語です。聴く人たちに「分からない」と言われたら、それは僕の負けなんです。逆に「いいライブだった」と言われたら、「そう感じられるあなたが素晴らしい」と僕はいつも言うんですよ。結局コンサートはコミュニケーションだから、僕は発信機なんです。でも、いくらいい電波を発信しても受信機がないとこれは感じてもらえないわけです。この両方が波長があって初めて事が起こる。いいコンサートだったと思ってくださったなら、音楽家の力は半分であとは皆さんの感性なんです。それを素敵だと思える人生を歩いてきているから共鳴できるんですよ。辛い思いや楽しいことという思い出や経験に、何か音楽というのは共鳴するんですよ。誰がどこで響くか誰も分かりません。僕は自分の人生の喜びや悲しみや不条理を、全部音にとにかく託して出すしかないんです。僕は発信するだけです。それは2千人お客さんがいたら、それは2千通りの自分たちの人生と共鳴しながら泣いたり笑ったりするわけです。


ジャンルを跨ぐことで見えてきたことはありましたか?

自分の中で本当に何が大切かというのがくっきり見えてきます。それは音楽というものを演奏することによって自分が得られるJOY、生きていることの喜び、そしてそれを人とシェアすることの喜びだと思います。これはコンサートの基本原理でもあるんです。そしてどんなに正解な演奏をしてどんなに速弾きをしても、それが自分の言葉となっていなければお客さんにも伝わらない。僕が演奏することで来てくださった方が幸せになるということが最終目的と考えると、その手法は関係にないということになります。

音楽のあり方自体が、コンサートにも繋がっているんですね。

コンサートというのは、劇場という空間に集まったお客さんとスタッフと音楽家の運命共同体がエネルギーのエクスチェンジ(交換)をして、またそれぞれの生活している場所に戻っていくという場所。魔法にかかる素敵な場所なんです。これは僕が魔法をかけるというわけじゃなくて、僕も魔法にかかるんです。なぜなら、僕が演奏してお客様が喜んでくれたら、そのエネルギーを僕はもらって帰るんですよ。これが僕の生きるエネルギーになるわけですよね。だから、ものすごく尊くて楽しいWin+Winシチュエーションというのが音楽です。そして人間と人間を結んで命の力の共有をして、明日に生きる力をみんなで確認しあうというのが芸術が存在する理由だと思います。芸術は決して高尚なものじゃないということです。体が必要なものがご飯なら、心が必要なものが芸術なんです。

とてもエッセンシャルな部分の話ですね。

音楽と芸術がなぜ存在するんですかということを、最近僕はお客さんと芸術自体に教えてもらいました。芸術の下では誰もが、全てが自由で平等なんです。マスの中に生きていると、ルールや常識なんていう言葉があるじゃないですか。極端に言えば会社に来るのに、女装して来たっていいじゃないの。人間なんだから、生きていることで人に迷惑かけなきゃいいじゃんというのが極論なんですよ。それが本当に自由なレベルでできるのが芸術。だから世界の人がみんな音楽とか芸術の本質を理解したとしたら、戦争はなくなると思いますね。

今回共演されるチック・コリアは小曽根さんの師の一人であり、お付き合いも古いですね。

チックと最初に出会った時、僕はまだバークリーの学生。ある日、僕ら学生選抜とチックのバンドが演奏するというコンサートがあったんです。サウンドチェックをしていたら、チックにピアノの調子を訊かれたことがあったんです。その時の会話で思ったのは、彼の中では人の上下がないんだということ。学生の僕ともフラットな関係で対話してくるんです。ただ、今でもミーハーな部分は抜けないんですよ。たまにチックとご飯を食べていても、「俺今、チック・コリアとご飯食べている」って突然ド素人に戻っちゃう感覚はまだ残っているのかもしれませんね。


チック・コリアのキャリアを見ると、小曽根さんと似た言語の持ち主であると想像できます。

スタイル的にはそうですね。僕は最初、オスカー・ピーターソンのように弾くことだけを追い求めていたんです。ジャズ馬鹿でもなく、音楽馬鹿でもなく、ピーターソン馬鹿だったんですよね。だから、デビューが決まったときの焦り様っていったらなかったですよ。この10年間これしかやってきていないよ、どうしようって。そんな時にゲイリー・バートンと出会い、そこで初めてチックの音楽とも出会うんです。ゲイリーが「この曲をやりたいからレコードを聴いておけ」と言って聴かされのが「チューリッヒ・コンサート」や「クリスタル・サイレンス」。自分の脱オスカー・ピーターソンの手段の1つとして、チックを貪るように聴いたんです。だから、それで出来た1枚目のアルバムは、ピーターソンを隠して新しい音楽をゼロから立ち上げることだったんです。今思うと、自分でもよくそんなことができたなと。生粋のピーターソン馬鹿だった神戸のピアニストの男の子が、まさかチック・コリアとデュオのツアーとか、今気がついたら30枚近いアルバムを出させてもらっている。やっぱり音楽が大好きで音楽を弾いていることによって生きるエネルギーをもらって。自分が身を捧げて、身も心も捧げてそれを奏でることによって音楽から返ってくるエネルギーが半端じゃないんですよ。もうあのエレルギーは、「小曽根さんは若いね」と言ってくれる人もいるんですけど、これは音楽のおかげですよね。弾くたびにエネルギーをもらっているというか。

今回はどんなコンサートになるでしょうか?完全アコースティックのコンサートですね。

ホールサイズやバンド編成の事情もあって、普段チックはコンサートでPAマイクを使うことが多いんです。でも今回はクラシック向けのホールでのコンサートでのピアノデュオ。アコースティックでいきましょうと、僕が彼を説得しました。マイクを通して聴く事が殆んど....というこの時代に、ピアノ本来の素晴らしい音色を使って「音楽」という言語で最高に楽しい会話をする僕達二人のエネルギーを、是非感じに来て頂きたいと思います。

ピアノ同士のデュオという編成は音楽とどう向き合うものですか?

デュオというのはおそらく一番インティメイト(親密)な関係で作れる音楽だと思うんですね。ソロの場合はパートナーがお客さんで、空気を感じながら媚びずに作っていく。ピアノは複数音が出ますから、2つのオーケストラが合体して演奏する感じなんです。だから、合うといいんですけど合わないと最悪のやかましい音楽になってしまう。これはデュオに限らないんですけど、音楽を演奏するときの一番大切なことは何かというと「聞くこと」なんです。相手が言ったことをちゃんと咀嚼して自分の中に落として自分の言葉を返すわけです。チックほどのレベルのミュージシャンたちには、何を言っても全部見透かされているような気がして、そんな怖さはあります。とんでもないボキャブラリーの量がある人なので、その言い方だったらこっちの方がいいんじゃないって来たら、そうでしたねみたいな。ただ、僕にしかできない表現はあると思うので、それをお互いに出し合って「それはありか」「これはありか」という遊び、会話というのを皆さんに見ていただくっていうコンサートになるんじゃないかな。だから、ものすごく楽しでく怖い。コンサートが終わった後に、今日はどんな表情で下りてくるのかなっていうのはもうそれは死ぬほど怖いです。おそらくチックもそう思っていると思う。怖いというよりも、どうなんだろうって。響き合っているかなって。ものすごくレアでロウ(生々しい)なコミュニケーションが露呈しますから、まるで二人芝居を見ているような音楽になるんじゃないかと思います。




5/27 FRIDAY
チック・コリア&小曽根真
ピアノ・デュオ・プレイズ・アコースティック

チケット発売中
■会場/愛知県芸術劇場コンサートホール
■開演/19:00
■料金(税込)/全席指定 ¥9,800 学生¥3,000 
■お問合せ/中京テレビ事業 TEL.052-957-3333(平日10:00~17:00)
※未就学児入場不可