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「木ノ下裕一」Web 限定インタビュー
取材日:2017.09.03

古典歌舞伎の演目を現代演劇として再構築する木ノ下歌舞伎。古典への深い造詣と敬愛、作品の深い読み解きと独自の視点から生まれるオリジナル作品は、演劇ファンから熱い支持を得るのはもちろん、古典の劇評家や歌舞伎俳優からも注目を集めています。この秋、2年ぶりの三重公演で満を持して披露するのは、FUKAIPRODUCE羽衣の糸井幸之介とタッグを組み、2015年に京都・東京で初演され話題となった「心中天の網島」。2017年リクリエーション版の構想、近松門左衛門の原作についてなど、主宰の木ノ下裕一が語ります。

浄瑠璃「心中天の網島」の作者である近松門左衛門は、現代の私たちにとっては心中物、恋愛物の作家という印象が強いですね。

彼が手がけたとされる110ほどの浄瑠璃のうち、心中物を含めた世話物は24本。残りの80本以上は時代物で、当時はそちらの方で評判を取った人なんですよ。古事記の世界を当世風に描き直すような、現代でいうと野田秀樹さんみたいなこともやっているし、近松の一世代前に台湾で明朝の復興運動を行った鄭成功を題材にして「国性爺合戦」を書いたり、社会や歴史をうまく描き直すのが得意な人なんですね。だから、興味はむしろそっちにあったのかもしれませんね。「心中天の網島」も、心中するカップルよりも、二人を取り囲んでいる家族や社会、世界を自分の手で編み直していくところに主眼を置いているのだと思います。

当時の浄瑠璃の台本は、いろいろな人が手を加え、さまざまなバージョンに変化していったそうですね。

そうなんです。特に近松は、原文のまま上演されることがとても少ない作家です。「曾根崎心中」や「心中天の網島」が上演された元禄から享保にかけては、上方庶民の知的レベルが一番高い時期なんですよね。元禄期に菜種油の大量生産が可能になって、庶民にも比較的安価で明かりが手に入る時代が来ました。そうすると夜、時間ができるから本を読むようになる。識字率もぐっとあがる。そこに、松尾芭蕉、井原西鶴、近松門左衛門という文芸・演劇・俳諧の3つのジャンルでそれぞれの巨匠が登場する、文芸復興の時代なんです。ところが享保の改革を経て、時代が下るにつれ、人々の知的レベルが段々落ちていきました。文学以外の娯楽も充実してきますから、興味も移る。当時の人にとって数世代前の近松の言葉や劇世界は難解なものとして映ります。だから、後世の作家がわかりやすくなるように改作しちゃうんですよね。もっとメロドラマ路線、エンタメ志向にしちゃう。今、残っているのは、そうして変わっていった台本です。

木ノ下歌舞伎の「心中天の網島」は、近松の原文をもとに作られています。

原文の世界観に戻そうというのが大きな趣向です。僕が近松の「心中天の網島」に初めて出会ったのは10代の半ばの頃。個人的なことで恐縮ですが、当時失恋していたのですね。その時たまたま文楽劇場で「心中天網島」も上演されていて。当時から古典芸能好きでしたから「今だ!恋のつらさを味わった今、近松を観たら、きっと良くわかる」と思って、意気込んで劇場に行きました(笑)。ところが、実際に観てみると全然引っかかってこない。描かれているものは、恋の喜びや悲しみではないなと思ったんです。もちろん恋愛の要素は入っていますが、それが眼目でないことはよくわかりました。これはもっとシビアなものだと。それで原文を読んでみると、やはり世界観の方に大きな存在感があって、近松が描きたかったのはそっちなんだと思いました。

そのときに作品の本質を掴んだことが、2年前の初演につながるわけですね。

いつか敵を討ってやろうと思っていたんです。恋愛作家じゃない近松の側面を世話物においてきちんと具現しようという思いは、木ノ下歌舞伎を始めた頃からずっと温めていました。初演でも、そこは実現できたと思います。今回、再演で気になっているのは、おさん、治兵衛、小春の三人と彼らを囲っている周辺の人物たちです。心中を阻止しようとする治兵衛の兄とか、野次馬のように傍観している丁稚とか…彼らの人物像が厚くなると三層構造になって面白いと思うんです。渦中にいる三人、周辺の人々、そして全員を包み込んでいる社会や世界。心中を批評的に見ている人々がいるからこそ、渦中に立たされている三人の抜き差しならない状況がくっきり描けるでしょうし、人間たちを包んでいる社会、世界も大きく見えてくる。近松が描きたかった世界観により近づくことができるような気がしていますね、単純な純愛物ではなく。


「心中天の網島」2015年初演時 撮影: 東 直子

近松が言わんとしていた部分がさらに深みを増すわけですね。もし、近松が再演を観たら「やるな」と思うのではないでしょうか。

初演も観て欲しかったですね。特に「箪笥の思い出」(※1)のシーンは、きっと近松は悔しがったなと思うんです。「その手があったか!」と。急に過去になって、おさんと治兵衛が自分たちの過去の断片を次々に演じるというのは、文楽でも歌舞伎でもできませんからね。当時はあの手法がなかったから。あれは現代演劇だからできることなんです。それを駆使して、しかも母子手帳とか哺乳瓶とか出してくるあたりなんかは、やっぱり現代しかできないことですから「くそっ!」と思ったんじゃないかな。あそこに関しては近松をギャフンと言わせたという気がしています。あとは大体「その通り、その通り、そういうつもりで書きました」と言ってくれると思いますけどね…って、会ったこともないんですけど(笑)。

ほかにも今回の再演で変わるところはありますか?

一幕目のセリフを全部、糸井幸之介さんが書き換えます。前半は「糸井語訳・心中天の網島」になるわけです。初演では、やっぱり近松に遠慮して原作の構成通りに作ったけれど、もっとがっぷり四つに組む方法もあったかもしれないと、悔いが残っていたみたいです。そこを再演でなんとかしようと。それは糸井さんの発案なんです。それから、島次郎さんと角浜有香さんによる舞台美術がずいぶん進化しています。初演では舞台上にたくさんの平均台を組み合わせて「天の網」を作り、浮き世のしがらみや不安定さを表現しました。再演では、本当に網が敷いてあるようなさらにダイナミックな舞台美術になると思います。

演出の糸井幸之介さんとタッグを組むことになったのは、どんなきっかけからですか?

糸井さんの「観光裸(かんこーら)」という作品を観て、このアーティストと「心中天の網島」を作ろうと決めました。京都に旅行に来た不倫カップルの話で、1本のコーラをふたりで飲むというシーンがあるんです。散々いちゃついていたふたりが次第に冷めていってどことなく物悲しい空気になり、女が男に「ねぇ、殺して」と言う。すると男が「うん、わかった」と、こぼしたコーラにたかっていた二匹のアリのうち1匹潰すんです。そして、今度は女に「殺して」と言う。女は「わかった」と、もう一匹のアリを潰して幕となる…そのとき「これは近松だ」と思いました。現代の心中物とは、こういうものなのかなと。死ぬに死ねないふたりにできる心中の手段としてアリに自分を投影して殺す。あるいは、アリをふたりそのものと捉えれば、彼らを覆っているもう一段大きなものがふたりを殺しているわけです。それは、近松が「心中天の網島」でふたりの死体に天の網を被せてどんどん俯瞰していく視点にもつながります。江戸時代、近松の心中物を観ていた観客は、こんな感覚だったのかもしれないと思いました。糸井さんご自身は、近松との類似性を意識されてはいませんでしたが、初演創作時には「近松と相性がいい気がします」とおっしゃっていました。近松と糸井さんは、対象物に対する距離のとり方がとても似てるんですよ。これは今回、糸井さんと台本執筆作業をご一緒したからわかったことなのですが、あんなにエモーショナルな舞台を作る人だから、さぞかし伝えたいことがどんどん出てきて熱い気持ちで書いていると思いきや、本人はけっこう冷めているんです。書きながら感情が動くこともなく淡々と書いているみたい。バランス良く俯瞰的な視点を保ちながら人物たちを動かしていくという感じは、近松に似ていると思います。

2016年から始まった「木ノ下“大”歌舞伎」のラストを飾る公演になります。旗揚げから10年の間にさまざまな演出家と作ってこられた作品をすべて再演する一大プロジェクトも完走間近ですね。

スタート前は準備でヘトヘトになって「こんなことやるって、なんで言ったんやろう?」と我ながらあきれたこともありました(笑)。でも始めてみると、お客さん、劇場の方、俳優さん、スタッフさんなど、これまでお世話になった大勢の方々と改めて出会い直して、その素晴らしさを再発見する時間になりました。こんなにもひとに恵まれてきたんだな、と実感しました。ご褒美をもらったような感じです。10年前と今では、お客さんの数も反応もずいぶん変わりました。始めた当初は、途中で帰られたり、パンフレットを投げつけられたりしたこともあったっけ(笑)。でも少しずつ理解されていって、お客さんがほかのお客さんを連れて来てくれるようになったんです。「あなたはきっと好きだと思う」って。それに、関連講座にも来てくださるとか、トークの日を楽しみにしてくださるとか、「木ノ下歌舞伎叢書」(※2)を読み込んでくださるとか、演劇を観るだけじゃなく学ぶことを楽しんでくださるようなお客さんも増えてきていて、嬉しいです。それもご褒美ですよね。

※1 小春を身請けするための金を工面するおさんと治兵衛のやり取りを描いた「紙屋内の場」をリクリエーションした、キノカブ版「心中天の網島」の名場面。おさんが箪笥の引き出しから質草を掻き集めながら、ふたりの幸せな思い出を歌にのせて回想していく。
※2 木ノ下裕一や演出家による作品の論考、創作の過程・裏話などを収録した、読み応えたっぷりのガイドブック。


10/20 FRIDAY〜10/22 SUNDAY
木ノ下歌舞伎 心中天の網島 2017リクリエーション版
チケット発売中
◎作/近松門左衛門 
◎監修・補綴/木ノ下裕一 
◎演出・作詞・音楽/糸井幸之介(FUKAIPRODUCE羽衣)
◎出演/日高啓介、伊東茄那、伊東沙保、武谷公雄、西田夏奈子、澤田慎司、山内健司
■会場/三重県文化会館 小ホール
■開演/10月20日(金)19:00 21日(土)13:00、18:00(終演後トークあり) 22日(日)14:00
■料金(税込)/整理番号付き自由席 
前売 一般 ¥2,500 25歳以下¥2,000 高校生以下¥1,000
当日 一般 ¥3,000 25歳以下¥2,500 高校生以下¥1,500
■お問合せ/三重県文化会館 TEL.059-233-1122
※未就学児入場不可