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デビュー15周年を迎えた安藤裕子。ここ2年間は、ライブ活動は続けながらも制作活動は休止。長年所属したレコード会社も離れ、慌しいながらも充電期間を経てリリースしたのはアルバム「ITALAN」。ここ最近の経緯や心境からこれからについて、そしてニューアルバムの制作過程について伺った。名古屋でのライブはブルーノートで予定。このサイズでどんな音楽を聴かせてくれるのか楽しみだ。

昨年、それまで所属していたメジャーレーベルを離れ、完全休養ではないですけれども若干歩みを緩められました。

そうですね。音楽制作をまず止めました。日本のレーベルは早いタームで作品を作る傾向が多いんですけど、私自身作るのを楽しめるタイプだから今まではうまくやっていたんです。でも自分も大人になって子どもも生まれて育てている中で、何かが変わってきた。


感受性の変化でしょうか?

シンガーソングライターって、自分に飽きちゃったらなかなか形を成さないんですよね。若い時は悲しいことも楽しいことも自分自身にすごく返ってくるんだけど、ある時から、悲しいとか楽しいとかを感じる機能がにぶくなってきてしまっている自分がいる中で、作るものが本当になくなってしまった。メジャーでの後期の作品が死生観に偏りすぎているというのは、生きるのか死ぬのかみたいなことに視点が行き過ぎていた部分が自分の中であって。かといって、そんな暮らしをしているわけでもないのに。でも頭がそこから離れられないみたいなのがあったから、これは一回ちょっと立ち止まらないといけないという話をして。

その最中に、アルバム「頂き物」をリリースして、制作を休むことにしたんですね。

そこで今までのレコード会社を離れました。ただ、ライブだけはちょこちょこやらせていただくっていうような時間が過ぎていたんですよね。私からすると全然休んでいる気もしないし止まっている気がしないんですけど、時間の経過がすごく早くて。その間に周りのスタッフにも変化があって。1人になったときに何をしようかなって思った時に、昔、書きかけで止まっていた小説をまず書き始めたんです。それを事務所の社長とかにお渡ししたら「面白いね」って言ってくれたりして。

アルバム「ITALAN」には小説が付録されているエディションもありますね。

このまま普通に始動するのではやっぱり曲なんか生まれないなと思って。ちょっと自分の好き勝手をやりたいなと思って作ったのが、今回の「ITALAN」。社長に相談したときに、「じゃあさ、本をつけなよ、本。」みたいな感じで言われて。新たに短編をいくつか書いて、そのサウンドトラックみたいな感じにしてみたんです。


その短編小説のテーマはどこから生まれてきたのですか?

例えば『娑婆訶』というお話は、たまたま電車で横に座ったおじさんが本当に手帳に「腹立つまいぞそわか。腹立つまいぞそわか。」ってすごい筆圧で書いていたんですよ。静かそうな男性なんですけど、すごい筆圧で書いていたんですね。どんな悩みがあるのか、声をかけて聞いてみたくなるぐらいのインパクトだったんです。誰も見ていないんですよ。私だけが横で、「うわあ、なんだろう、この人」って思っていた人で。ずっと何年も前の話なんですがその人のことが気になっていて、それで書き始めたら割とコメディタッチのものになって。『風雨凄凄』に出てくるOLさんも、なんとなく友だちのOL生活を見ていたり、『こどものはなし』も、私の知っている方の奥さんがモチーフになっていたり。ちょっと壁が分厚いというか、自分の世界をすごく確立している。自分の大事なものはすごく大事にするけど、外からの介入に対応できないというか。

どの話も日常から脱却していない、その人とその周りでの出来事ですね。

なんで「至らぬ人々」だと思ったかというと、書き始めた話のほとんどが大きなドラマを持っていないということ。その人たちの暮らしの中にちょっと起きている小さな出来事に少しライトを当てている感じです。派手な暮らしもしていない。恋ができなかったり、何もうまくいっていないような人の至らないこと。ダメなんじゃなくて、届かないという意味での至らないこと。「みんな至らぬなぁ」と思ってタイトルがついてきました。自分自身が多分、そういう人間なんだと思うんですよね。誰かとうまくやっていく才能もないし、地味なんですよ。私はこういう仕事をしているけど暮らしぶりは相当地味。誰かと会いに出掛けることも少ないし、こういう取材があればメイクもするけど、普段は汚い格好をしてスッピンのボサボサで出歩いているし。

何かを表現したり作り出す人は、意外とそんな感じかもしれないですね。

日本で何かを純粋に創作しても、その姿のままでは生業にはならないだろうなという感覚はすごいありますね。特に音楽は、どこかエンターテイメントが優れている人にアドバンテージがあるという格好は変わらない。作品どうこうじゃないんじゃないかなっていうのも、だんだん感じてきて。そんなことも余計に自分が閉じこもっていく理由だったかもしれない。「結局、こういうことをやっておけばいいんでしょう?」みたいな曲がった感覚も身についたり、「なんで歌を歌っているだけなのになんでおしゃれじゃなきゃいけないの?」とか、そういう違和感はずっとなんとなく感じていますね。でも、そういう国ですよね(笑)。

ご自身の内面と音楽を作る環境、両方の理由から今回の転機が生まれてきたんですね。

ちょっと上等なところから離れたいというのがあって。曲が達観していてシリアスになり過ぎたから、もうちょっと自分自身に帰りたかった。もちろん一曲一曲に感情は存在するんだけど、そこから一度離れたいというか。一曲一曲に強い想いを込めなきゃ歌えない曲が増え過ぎたんだと思う。そうじゃなくて、ただこう、メロディに乗って歌うことを思い出したい。あと、周りのおかげで安藤裕子という名前の作品ばかりが、どんどん上等になってしまったから、等身大にストンと落としたかったというか。色々な思いがあります。だから今回作品を聴いて、「え、こんなの安藤裕子じゃない。なんだよ、これ。ぷん!」と思う人ももちろんいるはず。今までの隙のない音楽とは真逆なものだし。でもこういうことをやらないと、多分私はこの先の続きができないと思ったんですよ。

そうするとこのアルバムは休止期間の答えというよりは、これからの第一歩と言ったほうがいいかもしれませんね。

今回これをやって初めて、自分が何を得るのか、どこに進むのか、これから自分の視点で歩み始めて確かめる。そういうことをしたいなというのがありました。始めるための布石というか、一歩ですかね。

もちろん今の環境もありますけど、今回はセルフプロデュースでのアルバム制作でしたね。

制作予算の都合上、ご一緒できる人は限られていたんですが、松本淳一さんにアレンジを何曲かお願いしました。以前「森のくまさん」という曲でご一緒して、出来上がったものがすごく良かったんです。今回も美しく仕上げてくれました。松本さんはある意味日本のポップスシーンでは突飛なことをやるけれども、きれいなんですよね。クラシック出身で土台がしっかりしている人だから音階がとても美しくて。多分彼との3曲があったから、私が家で変なことをやって録っている4曲もどこかバランスが取れた。だから、松本さんとやれてすごくよかった。

今回のアルバム制作は楽しかったですか?

楽しかったですよ。楽しいし、あと、やっぱり自分だと何もできないなっていう落ち込みとかももちろんあって。「太古の時計」とか家で全部録っていて、音の加工とかもほとんどしたんです。ただ、どうしてもリズムパートのコピペ的なことができず結局手で打ちこんで、それが逆に下手くそな本当の楽器みたいで良かった部分もあるんだけど、それをエンジニアさんに「すみません。あまりにずれているんで、ちょっとここだけ」って直していただくのがすごく地獄だったみたいで。そういう今までだとありえない部分の許容を増やすというか。でも今まで作ってきた整頓された曲には、整頓された音しか許されないわけで。どちらが優れているということではなく、ただ、そういう感覚を知ることができたのは楽しかったですね。

8月29日には名古屋ブルーノートでのライブが予定されています。どんな内容になりそうですか?

このアルバムは全部やっても30分程度。そうすると残りの半分は昔の曲をやるわけですけど。15周年というのもあって、いわゆるこれを演ってくれたら嬉しい、というのは入れておこうと思っています。あと、東京メトロのCM曲を先日レコーディングしたんです。これは小林武史さんが作曲とアレンジ、私が詞と歌で。TOKUさんがフリューゲルを吹いてくれています。これはまた大人っぽいというか。ちょっと郷愁感のある夏の都会の夕暮れみたいな。ブルーノートにも合いそうですね。


8/29 WEDNESDAY
安藤裕子 ITALAN CHIBIBAND TOUR 2018
ご予約受付中
■会場/名古屋ブルーノート
■開演/[1st]18:30 [2nd]21:15
■ミュージックチャージ(税込)/¥6,800
■お問い合せ/名古屋ブルーノートTEL.052-961-6311(平日11:00~20:00)