HOME > 平賀マリカ 歌う生活 > 18 母が遺したものとは
「眠っているお着物はありませんか?」と突然、知らない業者から兄が住んでいる実家に電話がかかって来たのが数日前。長い間、亡き母の遺品でもある沢山の着物をどうするか、実家を片付けながら、悩んでいました。
「家の中を整理するいい機会だから、この際出してしまおう」という意見と、「知らない業者は怖い」と意見も別れ、結局、長兄も手伝って3人で業者をよく見定めながら応じよう、ということになり、箪笥をひっくり返して、次から次へ着物をだす作業をかれこれ数時間。「懐かしいよね。これはあの時着ていたっけ。」と、思い出に浸りながら母が生きていた時代の事を話していると、時間は過ぎて行き…そうこうしているうちに、業者が尋ねてきました。
「あらら、ど、どうしましょ、じゃ、とりあえず見てもらう?」
なんでも、貸し衣装の為に着物を集めているんだそう。テレビや映画でのエキストラや、町娘役の為の衣装に合うものを探しているそうで。そういう事も大変興味深く私達は聞いていたのですが、いざ、お値段、となると、もう、びっくりしてしまうほどお安くて…。
なんだか、母の思い出がそんなお値段で去ってしまうような気がして寂しくなり、数着は残すことにしました。
業者が去ってから、改めて残した着物や帯を広げてみると、中には値札がついたまま、新品同様のものも。「考えてみるとさ、まず、こんな綺麗な着物、着て行くところがなかったよね。働きづめで」「母さんのストレス発散は綺麗な着物を集めることだったのかな。ちょっと気の毒だったね。」なんて会話に、着る機会もないのに、本当に綺麗なものに囲まれているのが大好きだったのだなあ、と思いました。とにかくきちんとたたんでいることにも驚きました。
母は、戦後の動乱期を歯を食いしばって生きてきた強い女でもありました。私は五人兄弟の末っ子で、母はもの凄い高齢出産で私を産んでくれました。私の子供時代、母はよく着物の袖をたすきでたくしあげ、家事をし、幼稚園の遠足には着物で来てくれました。記念写真を撮ると、洋服を着たお母さん達の中に、着物を着た母が一人だけ年老いて見えたのが、子供ながらに悲しく、「着物はやめて、洋服を着てきて」とせがんだものでした。時代が変わり、着物は立派な日本の文化として、一目置かれており、着物を綺麗に着ている人もよく見かけます。なのに母にあんなことを言ってしまった自分を、幼いとしても、申し訳なかったなと、反省しきり。
働き者の母はよく、父と喧嘩しては、ひとり台所の隅の板の間にしゃがみこんで、泣いていました。そんな母の後ろ姿はまるで、竹久夢二の絵を思いだします。悲しげな顔で地味な着物を着た、なで肩の女。そして、その光景をイメージした私がふと自然に口ずさんでしまったのが「宵待草」。いい曲だな、と思いました。早速、ライブで歌ってみたら、大絶賛されて、この曲が好きになりました。
母の残した功績はこんなところにも。そんな母を思いだし、私もそろそろ着物の着付けを習い始めようか、なあんて。