HOME > 平賀マリカ 歌う生活 > 03「歌のちから」

平賀マリカ 歌う生活

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私が住んでいる東京は、今、少しだけ元気がありません。私もここのところ、被災地の映像を見ながら心を痛め、涙する、そんな毎日が続いています。街に出れば、節電のため、繁華街や地下街もいつもより暗いのです。こんな時、歌を歌っている私はなんて無力でちっぽけな存在だろう、と落ち込んでしまいます。音楽というものは、人々が普通の生活のなかで、初めて楽しんでもらえるものなのでしょうか?音楽では空腹は満たされないし、人間が生きて行くのに必要なものなのでしょうか?今、私に何ができるのか?私だけではない、他の音楽家も同じように考えるのではないでしょうか?そこで、「音楽のちから、歌のちから」について考えてみました。今、被災地の人達はお腹を満たし、一刻も早く日常生活に戻りたいと思っているでしょう。しかし、この被害で傷ついた心はそう簡単に癒せるものではなく、時間がかかるものなのではないか、とも思います。人は皆、弱いもの。心の癒しが必要になることもあると思います。私の歌でそんな時、少しでも人々の癒しの一端を担うことができれば、と思います。実は、私は辛い時、いつもたくさんの歌に救われました。私が小さい頃は母が歌ってくれた子守唄や童謡で家族の愛情を感じ、安心したものでした。その記憶は今も忘れていません。歌は、人間の声で表現されるもの。愛に溢れた目に見えない魔法だとその頃から思っています。そして、いつしか私は歌うことを生業(なりわい)として生きることに決めたのです。私にとって、歌うことは癒しであり、祈りであり、触れ合いです。そして、歌はまた、元気の源にもなるのではないかとも思っています。実は、先日、親友を病気で亡くしました。彼女は海外でも活躍する素晴らしいフラメンコダンサーでした。お互いに女性アーティストとしての苦悩や喜びを分かち合う、私にとっては心の支えとなる素敵な女性でした。彼女と一緒にマイケル・ジャクソンの映画「This is it」を見に行ったことがあります。帰り道、「なんだか元気が出たね。私たちもいいステージになるよう、練習を惜しまず頑張ろうね!」と話したものです。そんな彼女がいなくなってからの私は、心にぽっかり穴が開いたように沈み込んで、声も出なくなるほど元気を失ってしまいました。そんな折、再びマイケルのDVDを見る機会がありました。そのときのマイケルの歌は、チャップリン作曲、そして、ナットキングコールも歌っていた、「スマイル」。この曲には、「悲しみを乗り越え、微笑みを絶やさず生きていけば、明日がやってくる」という歌詞があります。私もいつまでもめそめそしていたら、前に進めない。笑顔で前に進もう、強く生きていこう。と思い、すごく元気が出ました。私も、皆さんに歌を通して元気を届けることができたら、と思っています。そこで、今、私たちにできることは、私たちが元気に暮らし、その元気を、形はそれぞれですが、被災地に届けることなのではないでしょうか。まずは私の歌が皆さんの心に届き、触れ合い、そして、パワーがみなぎったら、一緒に東北に元気を届けましょう!それが叶えられたら、私は歌い続けてきた意味がありますし、私自身もまた、励みになります。被災地の皆さんが元気に立ち上がれたならば、必ずや、日本はこの苦難を乗り越えられます。復興を願い、歌のちからと皆の元気、東北に届け!