HOME > ドラマチック!OH!能 > vol.26「高砂」

ドラマチック!OH!能

高砂は、室町以来能の代表的な祝言曲として、広く人々に親しまれてきました。この作品では、松が重要な役割を果たします。松は古来、神が宿る木とされ常緑なところから「千歳」とも詠まれることが多く、長寿の象徴でもあります。また雌雄の別があり、夫婦を連想させます。世阿弥はこの能を、「古今集」仮名序の「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」という一節を題材として作り出しました。崇高で清らかな雰囲気に満ちた、気品のある名曲中の名曲です。


醍醐天皇の時代のこと、九州阿蘇神社の神主友成(ともなり)は、都見物の途中に従者を連れて播磨国(兵庫県)の名所・高砂の浦に立ち寄ります。友成が里人を待っているところに、一組の老夫婦が現れました。松の木陰を掃き清める老夫婦に友成は、高砂の松について問いかけます。二人は友成に、この松こそ高砂の松であり、遠い住吉の地にある住の江の松と合わせて「相生(あいおい)の松」と呼ばれていることを伝えます。そして『万葉集』の昔のように今の延喜帝の治世に和歌の道が栄えていることを、それぞれ高砂、住の江の松にたとえて、賞賛しました。老翁はさらに、和歌が栄えるのは、草木をはじめ万物に歌心がこもるからだと説き、樹齢千年を保つ常緑の松は特にめでたいものであるとして、松の由緒を語ります。やがて老夫婦は、友成に、自分たちは高砂と住吉の「相生の神」であると告げると、住吉での再会を約して夕波に寄せる岸辺で小船に乗り、そのまま風にまかせて、沖へと姿を消して行きました。残された友成の一行は、老夫婦の後を追って、月の出とともに小舟を出し、高砂の浦から一路、住吉へ向かいます。住吉の岸に着くと、男体の住吉明神が姿を現しました。月下の住吉明神は、神々しく颯爽と舞い、悪魔を払いのけ、君民の長寿を寿ぎ、平安な世を祝福するのでした。