HOME > 土岐麻子「もちもち道中膝栗毛」 > Vol.02 クレープハウス サーカス:バターシュガー

土岐麻子「もちもち道中膝栗毛」

とある平日の夕方。
吉祥寺は雨が降っていた。
商店街の灯はにじんで、夜ご飯の約束にいそいそと出かける人たちの波で賑わっていた。
その日、悲しい映画でも観たのだったろうか。人の流れに逆らいながら、なんだか一人取り残されたような、寂しい気持ちだった。
きらめきから抜け出したくて、路地へそれた。
すると「クレープ」の立て看板に出会った。
見ると、建物と建物の狭間の薄暗いスペースの奥に、かわいらしくレトロなカウンターがある。屋根には「クレープハウスサーカス」。
80年代にタイムスリップしたような佇まいで、すぐに老舗だと分かった。
荒野に灯るサーカス小屋に惹かれる子供のように一瞬で心を奪われたが、いやちょっと待て…
一人クレープは、つらい。
この世の生気を一点に集めたような、フレッシュで輝かしいトロフィー的な甘味を片手に、一人黙々と真顔で食べ続けるのは耐え難い。人目が気になる。お一人様は得意な東京の女であるが…。
しかしよく見ると「サーカス」の脇には通りから陰になった場所にも座るスペースがあり、会社帰りと思しき大人の女性が一人で背中を丸めて食べている。
ここならいける!
私はさっそく傘をたたんで光に吸い込まれ、ベーシックなバターシュガー(250円)をオーダーした。
かなりもったりとした生地を、店主がおたまで掬う。鉄板の上に広げると、ぶくぶくと泡のように膨らみ、もっちり感を想像させる。手渡してもらったクレープはずっしり重い。私も脇の椅子に座って、背中を丸めた。
…なんということだろう。
外側がパリッと香ばしいのに、中はえもいわれぬもっちり感。
バターのよい風味とお砂糖のほのかな甘みも生地を引き立てて本当に美味しい。
比較的厚みがある生地とはいえ、薄いものをなぜここまでもちもちさせることができるのか。まさにサーカス的な離れ技。
このクレープを、一人で食べてよかったと思った。素晴らしいもちもちには一人で向き合いたい。

食べ終えるとさっきまでの孤独はどこかへ消えていた。雨は相変わらず降っていたが、特別なもちもち体験を終えた、孤高なる者の気持ちで傘を広げた。