HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第九十回「審判という十字架」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

審判という十字架

誰か(何か)をジャッジしたという事実は、一生背負わなければならないものかも知れません。
「番町皿屋敷」と聞けば、怪談を思い浮かべる人が多いと思います。しかし歌舞伎の同名作品は、全く趣を異にする新歌舞伎。大正ロマンの民主的な気分の影響を強く受けた、身分違いの恋を描いた悲劇の純愛ドラマです。
若き旗本の青江播磨は、腰元のお菊と相思相愛。持ち込まれる縁談にも見向きもしませんが、お菊は気が気ではありません。青江家の家宝の皿を、割れば手打ちになる掟と知りつつ、播磨の心を確かめるためその一枚をわざと割ってしまいます。 
もちろん播磨は過失としてお菊を許しますが、後に真相を知り、自分の気持ちを疑われた無念さからお菊を手討ちにし、お菊も納得して死んでいきます。
「潔白な男のまことを疑うた、女の罪は重いと知れ」という播磨の台詞が有名ですが、現代の感覚からすると、どのような理由であれ、男性が一方的にジャッジし、ジャッジされるのは女性の側という構図、しかも命まで奪うとは言語道断。しかしこの作品の真意はそこには無いと言えます。
生涯ただ一度の恋を自らの手で葬った播磨は自暴自棄となり、槍を手にして敵対する町奴との争いに飛び出して行きます。
幕が下りてから観客の胸に去来するのは、これで彼の心は永遠に閉ざされたということ。これからの生涯で、心から笑える日はもう来ないでしょう。ジャッジしたという重荷を一生背負って生きる苦しさと虚しさを想像出来るところに、この作品の真価があるのだと思うのです。