HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第八十五回「予見力は人間力」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

予見力は人間力

この世知辛い世の中を生き抜くのに不可欠なのが「予見」。人生は判断の連続ですが、世の中は人の思惑で成り立っているもの。目的達成のためには、複雑に絡み合う思惑の網目から、ツボを押さえる理性が必要でしょう。
その理性に長けたのが「御浜御殿綱豊卿」の綱豊。次期将軍と目されながら、現将軍・綱吉による赤穂浪士らの処罰に批判的で、浅野家家老・大石内蔵助にも心を寄せていますが、政権に勘ぐられないよう、内蔵助同様に政治に無関心な遊び人のふりをしています。赤穂浪士を応援したい綱豊ですが、内蔵助が家臣の軽挙を押さえるために出したお家再興の嘆願書が受理されれば、討ち入りの大義名分は無くなると悩みます。
そんな綱豊と対照的なのが、赤穂浪士・富森助右衞門。主君を切腹に追い込んだ吉良上野介が、綱豊邸の能の催しに来ると知り、仇を討とうとしています。
縁あって彼に対面した綱豊は、武士の義を熱く語りますが、心を許さない助右衞門。封建社会の縛りの中で、考え方は違えども最善の道を選ぼうとする二人。静かな火花を散らして互いの本心を探る会話劇が見どころです。
その夜、助右衞門が上野介と思って襲った能の演者は、彼の行動を予見していた綱豊でした。道理を顧みない単独行動を諌め、仇討ちにも倫理があると諭します。
綱豊のモデルは後の六代将軍・家宣。自らの信念を守り、慈悲深い人柄だったと伝えられますが、本作では理性に裏打ちされた予見の正しさが印象的です。