HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第七十四回「物語の結末は、自力で描く。」
文・イラスト/辻和子
物語の結末は、自力で描く。
歌舞伎にシンデレラストーリーは、ほとんど存在しません。しかし、虐げられた環境からの脱出という意味で共通するのが「神霊矢口渡」のお舟です。足利尊氏と新田義興・義峯兄弟の戦いを背景とする作品で、渡し守・頓兵衛は船底に穴を開けて義興を溺死させました。頓兵衛の娘・お舟は、兄の最期の地を訪れて一夜の宿を請う義峯に一目惚れします。頓兵衛は足利の報償金ほしさに義峯の命を狙いますが、お舟は身替わりとなって父の刃を受け、息絶えます。
素朴な田舎娘がVIPに一目惚れした結果、身を滅ぼしてしまう歌舞伎おなじみのパターンですが、お舟の家庭環境に注目。
義興を亡き者にしたご褒美で、大金持ちになった頓兵衛。宝玉で飾られた御殿に住み、お舟も竜宮城の乙姫様にたとえられるほど。しかしあこぎな頓兵衛のせいで使用人が居つかず、お舟は下女のように立ち働いています。まるで抑圧されたシンデレラ状態です。
貴人の雰囲気をまとう義峯は、狭い世界しか知らない彼女の目を開かせる存在でした。白湯を準備しながら積極的に口説いたりと、生き生きと動き始めます。その行動力は突出していて、父の悪巧みも事前に察知。切られて重傷を負いながらも、父の非道をいさめるお舟。これまでのように、ただ従うだけの娘から脱皮を遂げたのです。息も絶え絶えになりながら、最後まで義峯の脱出を支えます。
たとえその身は散ろうとも、生まれて初めて自分の心を解放した彼女は、きっと満足していたに違いありません。