HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第五十九回「儚き情熱」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

儚き情熱

責任感とはストレートな情熱の裏打ちでもあるー。そんな風に思えるのが「仮名手本忠臣蔵」に登場する母親・戸無瀬です。
彼女は城中で刃傷に及んだ塩冶判官(史実の浅野内匠頭がモデル)を止めた加古川本蔵の後妻で、娘・小浪の継母。小浪と塩冶の家臣・大星由良之助の一子・力弥は許嫁でしたが、事件の影響で結婚話が進みません。本作の九段目で戸無瀬は、力弥を慕う小浪に付き添い、京都・山科の大星の仮宅にやって来ます。
特徴的なのは戸無瀬のキャラで、義理の娘に対する並々ならぬ愛情と責任感の持ち主。本作の二段目では、使者として現れた力弥と小浪を二人きりにする、さばけた気遣いも見せます。 小浪との道行の場では、渡し船に間に合うように娘と一緒に走る詞章から、彼女がまだ年若いのがわかります。年齢的には母親と姉の中間のようなイメージです。
ティーンエイジャーの小浪は、力弥恋しさの一念で東海道を駆け抜け、戸無瀬もその気持ちに呼応して「何が何でも力弥に沿わせてやろう」と「押し掛け嫁入り」の覚悟です。しかし大星の妻・お石に冷たく拒絶され、夫にも申訳が立たないと、娘と共に自決しようとします。義理の母だからこそ、より強い責任感を持っているのも情熱の成せる業と言えますが、その行動はとてもストレートです。
実は大星父子は秘かに討ち入りの覚悟を決めており、お石が嫁入りを拒絶したのも、小浪を若き未亡人にしたくなかったから。人々の様々な思惑が交差する雪景色のなか、戸無瀬の燃えるような赤い着付けがひときわ印象的です。