HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第四十三回「煩悩と悟りのあいだに」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

煩悩と悟りのあいだに

世の中にはやりたい放題をしていても、なぜか憎めない人がいるのが不思議です。それが色事がらみだったりすると、なおさらでしょう。 その一人が舞踊「六歌仙容彩」に登場する喜撰法師。「わが庵は都の辰巳しかぞ住む世を宇治山と人はいふなり」という百人一首の歌で知られますが、歌舞伎はそんなセレブ教養人を、下世話な庶民の世界に引きずり下ろしました。僧侶でありながらいつもほろ酔いで、美女と見ればつきまとう「ダメダメ坊さん」に再設定。「世辞で丸めて浮気でこねて」「色の世界に出家をとげる」などという伴奏の詞章に乗って、一目惚れした茶汲み女(ウエイトレス)をくどきます。 しかし、この喜撰というキャラ、何とも言えない愛嬌があります。「立役(男役)と女形の中間で踊る」という口伝があり、歩き方も片足を少し内股にするなど、とぼけた味わいが軽やかで、詞章は色っぽい情景も満載。たとえば大井川の宿場町の、にぎやかな客引きの様子をうたったのが 〈〜旅籠はいつもお定まりお泊まりならば泊まらんせ お風呂もどんどん湧いている障子もこのごろ張り替えて畳もこのごろ替えてあるお寝間のお伽もまけにして〜〉 このお寝間のお伽とは「泊まってくれるなら一夜妻もお安くサービスしますよ」という意味。他にも「抱いて涅槃の長枕睦言がわりのお経文」など、きわどい文句もありますが、サラリと楽しげに踊る喜撰。色事に対するこのてらいのなさは、もはや別次元の感覚と言えましょう。そして最後は、 〈来世は生を黒牡丹おのが庵へ帰りゆく〜〉
という詞章。黒牡丹とは牛の異名で、仏教では堕落した僧が、来世で牛になると言われていました。本人も、覚悟をしているのがアッパレで、煩悩の肯定と「悟りの境地」が絶妙に調和。この無敵さには誰もかないません。