HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第三十六回 「世渡りに不可欠な、とばっちり回避術」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

世渡りに不可欠な、とばっちり回避術

思いがけず攻撃的な態度をとられて戸惑った事はありませんか?案外と原因は相手の事情にあるのかも?世間ではこれを「八つ当たり」と呼びます。上司に嫌みを言われてモヤモヤしていたのかも知れないし、夫婦喧嘩の直後だったのかも。あるいは失恋中だったりして。たまたま遭遇したのが災難だったのです。そう考えてやり過ごすのも、大人のスキルでしょう。でも「仮名手本忠臣蔵」の塩冶判官の場合は最悪でした。赤穂浪士の討ち入り事件を題材にした本作の序盤は、セクハラとパワハラ全開です。幕府の高官・高師直が、大名・塩冶判官を散々に愚弄し、堪えかねた判官が刃傷に及ぶのですが、そもそも事件の発端は、判官の妻・顔世に対する師直の横恋慕。幕開きでは、人目の途切れたところを見すまして、堂々と顔世にラブレターを渡してアプローチ。自らの地位を利用して言い寄るスケベおやじですが、判官の仕事の同僚・桃井若狭之助に邪魔立てされます。そのため師直と険悪になった若狭之助を案じた彼の家臣が、こっそり師直に賄賂を送ります。結果、師直の態度は豹変。式典当日の殿中で、怒り心頭で今にも斬りかかろうとする若狭之助に、おべっかの嵐で切り抜けます。そこへ折悪しく判官が来合わせ、同時に顔世からラブレターの返事も到着。師直の横恋慕をやんわり断る内容でしたが、ふられたスケベおやじはおさまりません。一転して師直の怒りは判官に向かい、ネチネチといじめ始めます。師直の心理状態は「期待していた恋がかなわない欲求不満に、若造の若狭之助におもねった不本意さが相まっての八つ当たり」。何も知らない判官は我慢を重ねますが、根がお坊ちゃん育ち、ついに堪忍袋の緒を切ってしまいます。人の事情は外からは見えないもの。「とばっちりの可能性」が頭の片隅にでもあれば、最悪の事態もまぬがれた かも知れません。