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世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

第三十回「己を捨てて、たどり着く先。」

物事を為すとき、捨て身になるほど強いものはないー。私欲や小さなプライド、現状を維持したい心、未知への怖れ。捨て身とは、そんな執着や「自分可愛さ」を忘れる行為なのでしょう。 「荒川の佐吉」の主人公・佐吉は、腕のいい大工でありながらヤクザの下っ端。その親分の仁兵衛は、浪人の成川に片腕を斬り落とされ、縄張りを奪われます。自暴自棄となり、いかさま賭博に出向こうとする仁兵衛。佐吉は必死に押しとどめ「無法に負けるのは恥ではない、無法に勝つのを恥というんだ」と諭します。しかし、いかさまがばれて仁兵衛は殺され、佐吉は仁兵衛の娘お新の息子で、一人残された卯之吉を育てる事に。お新は丸総という大店の囲われ者で、丸総は赤ん坊の卯之吉が盲目なのを理由に、仁兵衛に金をやって引き取らせていたのでした。 佐吉は七年間、苦労しつつも愛情こめて卯之吉を育てますが、丸総の手下に力づくで卯之吉を奪われそうになり、無我夢中で手下を殺します。卯之吉への愛情がそうさせたのですが、佐吉は「真の捨て身になれば怖れるものはない。何かを為そうとする自分の心が物事を為す」と気づきます。仁兵衛の敵・成川を討ち、それまでのさえない様子から一転、立派な親分になっていきます。 しかし、彼が真価を問われるのは、その後。前非を悔いた丸総とお新が、卯之吉を返してくれるよう頼んで来ます。「金持ちというのは無慈悲なものだ。卯之吉は俺が育てた俺の子供だ」と拒否する佐吉。しかし大恩ある大親分の「それは犬猫を手放すのを悲しむ気持と同じ。人間の子なればこそ、執着を捨てて将来を考えてやるべき。丸総なら卯之吉に検校の位を買ってやれる」という道理をふまえた言葉で我に返ります。盲目な上にヤクザの子では、末は見世物小屋行きかも知れないー。 佐吉は卯之吉を返し、その将来の障りにならぬよう、自らの地位も返上し、江戸を離れます。卯之吉の幸福を願えばこそ、世間の勝手な「無法」にもきびすを返して、今度こそ本当の捨て身に。「何事も移り行くのが世間の習い」と受け止め「おとっちゃん」と呼び止める卯之吉に「坊ちゃん」と呼びかけて、去って行く姿が胸をうちます。