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文・イラスト/辻和子
第十八回「律儀な男の悲哀」
相手の理不尽にブチ切れたものの、その原因は自分にもあると悟る―良くある事かもしれません。
「魚屋宗五郎」は、妹を殺された酒乱の男が大暴れする話。明治期の名優・五代目尾上菊五郎の「酒乱の役をやりたい」というリクエストで書かれたものです。
行商の魚屋・宗五郎の妹・お蔦は、殿様に見そめられ て、妾奉公に上がります。双方納得の上、大枚の支度金と破格の月給を約束されて、お屋敷に迎え入れられました。
大事にされていたお蔦ですが、悪臣がお蔦の密通をねつ造。それを信じこんだ殿様に殺されてしまいます。殿様も酒乱で、酔った上での乱行でした。
知らせを受け、悲しみにくれる宗五郎一家。「殿様に文句を言いに行く」と憤る家人をさとす宗五郎の発言に注目。「殿様には十分すぎる恩義がある。大枚はたいて抱えた妾を、むざむざ殺すのは、それなりの理由があったはず。押しかけたところで、武士の掟で手討ちにしたと追い返されるだけだ」道理をふまえた宗五郎の性格がわかります。当時借金を抱え、困窮のきわみにあった宗五郎一家を救ってくれたのも、他ならぬ殿様なのです。
しかし後に密通は濡れ衣と判明。律儀で真面目な人ほど、気持を押さえこみがちですが、その反動も大きいもの。宗五郎は、禁酒していた酒を飲み始め、ついには荒れ狂って大暴れ。理性と感情がせめぎ合うなか、序々にまわってくる酔態の演技が、最大の見せ場。
暴れこんだ殿様のお屋敷で、酔いの覚めた宗五郎が語る台詞が泣かせます。
「支度金を下さった時のありがたさ。借金も返し、道具もそっくり新規にそろえ、魚は生きのいいものを安く売るのでじきに売れ、毎日もうかって好きな酒 をたらふく呑み、親父も笑えば女房も笑い、わっちも笑って暮らしました。」
しがない庶民の一家が、はじめて手にした夢のような幸
福。しかし楽あれば苦あり。困窮に負けて、お蔦を妾奉公にさえやらなければ…という後悔を抱えて、泣き笑うのでした。
酒乱でなくとも、大人なら共感できるような、何とも練れた味わいの作品です。