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文・イラスト/辻和子
第四回「ヤンキーの心の自立」
今や希少になりつつある「ヤンキー」。ひと昔前までは、ヒールつきサンダルに幅広ズボンというスタイルで、地方都市を中心に生息していましたが、固有種としてのクラシックヤンキーは減少中。
しかしいつの時代も、「ヤンキー的なもの」は存在します。ヤンキーをヤンキーたらしめているのは「バイオレンスな直情性」「反抗心」「仲間のために動く義侠心」などのメンタリティーだからです。
そういう意味で「義経千本桜」すし屋に登場する権太は「元祖ヤンキー」。奈良県は吉野のすし屋の長男でありながら、素行の悪さで勘当中。平家に深い恩義のある彼の父親は、源氏方に追われる平家のVIP・維盛を、従業員としてかくまっています。
ならず者ながら、マザコンでもある権太。店の金をちょろまかそうと、うそ泣きで母親に甘えかかります。息子に甘い母親は、権太が手癖の悪さを発揮して、戸棚の鍵をこじ開けるのを見て「器用な子じゃなあ」とほめる始末。
そんな母親の甘さも、権太をスポイルした一因でしょう。ゆすりかたりが常習の権太ですが、妻子がおり、自分の家族は大切にしています。「早婚で意外と家族思い」のヤンキーの特質が表れています。
後半では、権太の直情的なヤンキー魂が、維盛の危機に直面して変化。妻子を犠牲にしてまでも、源氏方から維盛を守ろうと計画しますが、結果的には徒労で、権太も犬死にしてしまいます。
どうしようもなく見えた権太が、実はまっとうに更生しようとしていたというのが、最大のキモ。これは「ヤンキーの心の自立」という見方もできます。
なぜに権太はそうしたのか。彼自身心のどこかで「オレもヤンチャしてる齢じゃない。このままじゃいけない」と感じていたのかも。周囲にちゃんと認めてもらいたいという、ひそかな願いもあったのでしょう。母親にたかった金も、維盛一家を逃がす路銀にするつもりでした。
悪人と見えた人物が実は善人だったという演出を「モドリ」と言います。自らの心の声に従って行動した瞬間に、権太は心の自立を果たしたのかも知れません。