HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第八十八回「“欲しい”が人を強くする」
文・イラスト/辻和子
“欲しい”が人を強くする
何かを得たいならば何かを手放すべしー。そんなふうに思えるのが「鰯売恋曳網」です。
本作は昭和二十九年に発表された三島由紀夫の新作歌舞伎。一寸法師や浦島太郎のように、江戸初期以前に書かれた御伽草子からヒントを得ています。
鰯売りの売り声に恋焦がれて城を抜け出した姫君が、その行方を求めて彷徨った末に、都で高位の傾城・螢火となります。五條橋で彼女に一目惚れした鰯売りの猿源氏は、大名に変装して会いに行きますが、彼こそは螢火が長年夢見たその人でした。
歌舞伎には珍しく明るいメルヘン劇ですが、螢火の境遇は波乱含みです。元お姫様なので大切に扱われてはいるものの、遊郭では浮いた存在。好きな遊びは雅な貝合わせですが、退屈した傍輩の遊女たちからは、あからさまに嫌味を言われています。
一方の猿源氏は彼女への恋煩いで商いにも身が入らず、見かねた父親の入れ知恵で螢火とは対面出来たものの、内心では身元がばれないかとヒヤヒヤ。どうにか取り繕って切り抜け、ウキウキ気分とのギャップが笑いを誘いますが、盃を取り交わすうちに螢火の膝で寝入ってしまいます。
やがて鰯売りの呼び声を寝言で聞いて驚く螢火。素性を明かされ、夢見た人と出会えたと喜びます。家臣に無心した帰城のための金子も身請け金として自ら支払い、帰らずに鰯売りの女房になると宣言する大胆さ。頼りなかった猿源氏も恋を成就させ、人は何かを抱え込んだままでは前には進めないようです。











