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「鹿目由紀」web限定インタビュー
取材日:2014.05.25


全国の演劇ファンに熱く支持される名古屋の人気劇団あおきりみかん。
その主宰者にして劇作家・演出家の鹿目由紀は、
今、最も忙しい演劇人のひとりです。
待望の最新作「天国の東側」の稽古場で、
作品づくりについてじっくり聞きました。

劇団あおきりみかんは、若い演劇ファンから圧倒的な人気を得ていますね。

世代を問わない作風だとは思うんですけどね。作品によって色は違いますが…。前回の劇団公演では宮崎に初めて行きましたが、けっこう喜んでいただけて。こういう小劇場系のお芝居ってあまり触れることがないんじゃないかなと思っていたんですが、けっこう年配の方もいらっしゃって、喜んでくださったようです。あと東京と大阪、もちろん名古屋でも上演しましたが、各地で受け入れてもらっているという手応えは感じていますね。

前回の本公演で2〜3月にツアーをなさって、6月末から最新作を持ってまた各地を回られる。サイクルが早いですよね。

そうなんです。たぶん年に3回はやっていて、そのうちの2本は必ずツアーで回っています。けっこう大変なことですよね。

鹿目さんは、劇団以外にも作品を書いて演出をなさったり、テレビドラマも手がけられたり、俳優として客演されたり…大変ご多忙だと思いますが。

何本も同時進行ですね。でも、たくさんやっていることで気づくことが多いというか…ほかの現場で「これ!」と思ったことを自分の劇団で生かしてみたりすることが出来ることが、今たくさん仕事をしている利点じゃないかと思います。頭が回転している方が次のネタも浮かびやすいんです。止まっちゃっていると、そのことばかり考えてうまくいかなかったりするので。今回も、劇団の新作を作りながら自分が出演する舞台がほかにあるんですよ。今日も劇団の稽古が終わったら、そちらの稽古に行くんですけど(笑)。それぞれの現場で全く違う人と触れ合っているので、そこで得たことを自分の劇団に還元したりできるという…面白いです。


そうした中で、劇団の本公演はご自身にとってどのような位置付けですか?

自分の中の最前線のものを出すという感じ…最先端の場ですね。一番気になっているものを出さないと自分の劇団の仕事としては不誠実だと思いますから。もちろんほかでの仕事も楽しくやっていますが、そこでは得意分野で勝負するということがあります。劇団の公演ではいつも、経験したことのないものをやるという感覚で演劇を作っています。それから、無茶なことを振るということですね。俳優たちに「こんなこと出来るかな?」と思うことをやってもらう機会を毎回設けて、それにチャレンジしている姿が舞台に乗ればいいんじゃないかと、それを凄く意識しています。単純に楽しみなんですね。どんなことになるんだろうという楽しさ、それはけっこう大きいです。うちの俳優たちは、何を振られてもやる気は非常に持った状態で臨んでくれるので、非常にありがたいですよね。例えば、劇中でジャグリングをやるといったらちゃんとマスターするし。やれないとは言えないという、彼らの後には引けない感じを受けながら、こっちもちょっと思い切って言ってみるんです。


最新作「天国の東側」は、鎖につながれた11人の物語ということですが。

設定を明確にはしていないんです。見知らぬ者同士の11人が、天国と呼ばれる場所の東側のエリアに鎖につながれた状態でいるということだけがわかっています。最初はただの集合体ですが、「これから制限時間内に、ちゃんとした良い集団になってください」という指令のために全員で画策する…それがメインテーマです。良い集団とは果たして何なのかを真剣に考える人たちが必死にもがく様を描くという感じですね。全員が鎖でつながれているので、不自由があって息が合わないと鎖が乱れたりしていろいろ困る…というところを面白さにしようと思っています。

「集団」をテーマになさったのは、なぜですか?

劇団を始めて16年になるんですね。本当に最初はただの寄せ集まりとして「一回面白いことが出来ればいいや」と思って始めたものが、16年も続きました。紆余曲折いろいろあって今に至りますが、それで果たして良い集団と言えるのかというと本当にそうなのかちょっと疑問だったり…だけど周りから見ると「いいよね」と言われることもあるし、内部にいると「こういうところがダメだな」と思うこともたくさんあったりして。自分が今いる環境が抱えていることが、社会全般に共通するテーマなのかなと。集団って、会社とかサークルとかいろいろあるので、みんなが興味を持つところなんじゃないかと思って。今はネットでコミュニケーションを取ることが多いですが、オーディションをやると、家でネットやゲームをするのが好きという人も来るんですよ。それはやっぱり、人との触れ合いを求めているからなんだなと。子役のオーディションなんかでも「前回、参加して友だちが出来たらから、また来たい」と言うんですね。いくらネットやオンラインゲームに馴れ親しんでいても、やっぱり友だちが欲しいんですよ。絶対に集団を求めている。「じゃあ、集団って何だろう」と考えたときに、今回の話に行き着くというか…。

ひとつの目的に向かって突き進むときの、真面目さのエネルギーの怖さのようなものも「集団」にはありますよね。

わかります。それを良い集団だと思いたくないんです。まとまったものが良い集団なのかという疑問が常にあります。まとまってないから良い集団だと呼べるものもあるし、その辺りが共感性を持って伝われば面白く観ていただけるんじゃないかなとは思っています。例えばうちの劇団は、みんな個性が強くてけっこうバラバラなんです。あと、言いたいことを遠慮せずに言う集団なので、そこがいいところなんじゃないかな。集団心理として非常に強いものに巻かれてただのひとつのまとまりになってしまうよりは、常にバラバラでいいということを認めながら進んでいく。そんな感じになりたいなと常に思っています。今回の作品で11人が目指すのも、そういうところだと思います。その過程で人間が変わっていく様、変化が見られるのがけっこう面白いんじゃないかな。

前作の「発明王子と発明彼女」はロボットのコックピット、今回は「天国」と、ひとつの場所で展開する作品が続いています。

たまたまなんですよね、本当に。場所が飛ぶ作品も、今までけっこう書いていますし。私は、時間もぴったりリアルタイムで人の出入りだけで成立するというワンシチュエーションはあまり得意じゃないんです。そうじゃなくて、一見同じ場所なんだけど、ひとつの場所とは言いがたいというところで進んでいく構成を考えるのが楽しい。ひとつの制約された場所だけど、その中でいかに自由度を高く設定するかの遊びに命をかけちゃうという…。例えば、同じ場所で物語が進んでいるようでいて、実は観客がふたつの時間を見ていた…つまり、現在の時間とまるで交錯するように何年か前の時間を見ていたんだけど、それに気づかないで同じ人が違うことをやっているだけだと思っていたら、実はその時間はもの凄くずれていたとわかったりする…そんな構造ですよね。それを舞台に持ってくると、例えば、いないはずの人がいる設定になっているけど、その人は本当はいなくてみんながいるように扱っているだけで、観客には見えているんだけど実は周りの人からは見えてなかったとか…そういう構造的なことが出来るし、とても興味がありますね。それが演劇的な構造だと思います。それを映像で合成したりしちゃったら面白くないと思うんですよね。でも、生でやるとドキドキするでしょ?見ている側が肌触りで感じられる驚きの構成みたいなのものが一番いい。あとは、失敗するんじゃないかと思うギリギリのラインを狙うというか、「びっくり」をどうやって入れるかというのはけっこう大事なことのような気がしています。

それを構築するのはとても緻密な作業になりますよね。

頭は使うんですけど、そこの労力を惜しまずに作ると自分も後で見たときに楽しめますからね。まず役者をびっくりさせて次にお客さんをびっくりさせるんですけど、書いていて自分自身がまず一番びっくりしないといけない。だから、後から台本を見直したときに「意外とこれはうまく書けているな」というときが一番楽しい(笑)。

最初に図を書いたりして組み立てるのですか?

そういうことは全くしなくて、行き当たりばったりで書いています。もちろん戻って直すことは多々ありますが、一度頭の中のものを文字にして吐き出してしまうんです。あらかじめしっかり構成して…というやり方ではなく、まずズラーっと書いちゃって、その後戻って伏線をもう一度きちんと見なおして整合性を取るような感じです。もともと文系なので、理系の綿密な設計図は引けないんだと思うんですけど。だから自分の感情をまず書いて、その後、理性的な自分が感情論をどうやって見ていくかみたいな、ふたりの自分で書いているような感覚です。



演劇はもちろんですが、最近はテレビドラマでも脚本の重要性が見直され、見る側も作品本位で選択するという風潮になってきているように思います。劇作家・脚本家としてお感じになることはありますが?

テレビにしても何にしても、誰もが絶対に心揺さぶられるようないわゆる「ベタな話」を、まず書けるか書けないかというのが重要だと思います。最初からベタを外したものを書くということで成立すればそれも素敵だと思うんですけど、そのベタをいかに手を変え品を変え今の時代に合わせ、かつ自分の言葉にして書けるかということに大事がある。そこで、同じようなベタなものを書いたときに作家の手練手管が変わるから、「この脚本家がいい」とか言われるんじゃないかと思っています。だから、その手数が多い作家は重宝がられるのかな?自分自身は手練手管があるとは思いませんが、仕事を依頼されると「鹿目節で」とか「鹿目ワールドで」とか言われるんです。「なんだろ、それ。ワールドなんてあったかな」と思いながら書いてみると「あ、出てます」みたいなことを言われて気づいたり…。

最近、脚本を手がけられたテレビの生ドラマも、ホームドラマでしたね。

娘の結婚に親が反対するという、話としては本当にひとことで言えるようなものなんですけど、どこに面白さをもってくるかは脚本家、そしてもちろんディレクターの個性だったりします。その個性がうまく出たときにいいドラマになるということはわかっている。だからその個性を出さないと、結局ディレクターに何も拾ってもらえなくてただ苦労するだけで終わっちゃうんです。「ここだけは絶対に自分のこの個性を出したい」と思うところがあると、いいドラマやいい舞台になったりするんじゃないかなと思います。最低ラインの自分の仕事は、自分を出すということなんでしょうね、きっと。

作品で出すべき鹿目由紀の「個性」とは?

自分ではわからないけど、人から言われることで何となく思うのは、とにかく人間を肯定しようと思っていることですかね。ほかの人から見ると、「何か温かい気持ちになる」とか、「観終わった後、前向きな気持ちで帰れる」とか、そんなことみたいです。そんなつもりは全くなくて、ハッピーエンドじゃないときもあるんですけど、それでもそう言ってくださるので、温かいものを感じてくれるようなものにはなっているんだろうなと。やっぱり人が好きなんですね。悪いヤツもいいヤツも含めて、人間に凄く興味があるということだと思います。どんな犯罪者の話を書いたとしても…もちろん犯罪者を肯定する訳ではありませんが…人間の面白さって絶対にあると思うので。前向きになってもらえるんだったらその方がいいと思うし。救いもなくただ荒涼とした気持ちで帰るということだけは、表現する者として観客にさせたくない。以前、誰かに「持ち前のサービス精神が滲み出ちゃうから大丈夫」と言われて(笑)。どんなに笑わせないように書いても笑えるところが出てきちゃったり、冷たくなるべく無機質な感じでと思っても、どこか温かくなっちゃったりするので。それは隠せないみたいですね。

あおきりみかんの作品は、ぜひ幅広い世代の人に観て欲しいと思います。

普遍的なテーマをやっている人間が普通に舞台に乗っているだけなので、誰が見ても楽しめると思いますね。だから特に、日頃ストレスを溜めてしまっているような大人の方に見ていただきたい。元気には絶対になれる(笑)。それと、どの世代のお客さんに対してもいつも思っているのは、一緒に作品をつくりに来てくださいということです。解釈はお任せするし、それがこちらの意図したことと違ったとしても全然問題ない。そういうことこそ醍醐味じゃないかと思うし、むしろ違った読み方を教えて欲しいと思っているんです。



6/26 THURSDAY〜29 SUNDAY
劇団あおきりみかん
其の参拾壱 天国の東側

チケット発売中
◎作・演出/鹿目由紀
■会場/愛知県芸術劇場小ホール
■開演/6月26日(木)19:30
6月27日(金)19:30
6月28日(土)14:00、19:00
6月29日(日)13:00、17:00
■料金/全席自由(整理券配布)
前売 一般 ¥2,800 大学生・専門学生¥1,800 高校生以下¥1,200
当日 ¥3,000
■お問合せ/劇団あおきりみかん TEL.090-8075-0683(18:00〜22:00)
※未就学児入場不可
※6/26は初日限定スペシャルステッカーをプレゼント